北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第5章 交通・交易

はじめに
北本市内を貫通する主要な道路は、江戸時代には中山道であり、現在は一七号国道である。これらの道路も重要であるが、その他に生活に密着した道路が縦横に走っている。そして、北本周辺から市街地へ通じている道路は川越道、鴻巣道、桶川道、騎西道などといった。
陸上交通はこれらの道を使って行われてきたのであるが、水上交通は、現在は完全に廃れてしまったわけであるが、荒川が使われ、重要な位置を占めていたのである。北本市内の荒川の河岸は、上流から高尾河岸、荒井河岸、石戸河岸と三か所あったが、最も栄えていたのは、高尾河岸である。周辺の村々の年貢米なども高尾河岸から運ばれていた。川は道路を遮断してしまうが、これらの河岸には渡しがあったし、橋も架かっていた。
物を運搬するのは、現在ほとんど自動車が利用されるが大正時代ごろまでは荷車が主要なものであった。ゴゼや猿回しなどの門付け(かどつけ)をする芸能者も色々いたが、現在ではそのようなこともなくなっている。
農村地帯などでは、行商から物を購入することが多く、飴売りや薬売りなど数多かったが、現在でも残っているのは薬売りぐらいになってしまっている。
北本市内では六斎市を開いていた町場はなかったので、農家の人たちは収穫した穀類を六斎市を開いていた川越、鴻巣、桶川などに持って行ったのである。
達磨市とか雛市などの市は、真福寺の縁日や町場の様相を呈している石戸宿などで開かれた。

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