北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第5章 交通・交易

第8節 店

1 石戸宿

石戸宿地区には宿を形成している地域があり、この宿を宿並三六軒といった。大正初めまでは、宿の道の中央には水路があった。水路の東側は、八坂神社の祭礼の神輿が通るのに対して、水路の西側は、葬式のときの行列が通り、そのためトムライオウカンとも言った。
この宿の店と屋号については以下の通りである。

図1 家並と家号(石戸宿)

道の東側の上からみていく。①の家は屋号はなく、職業は四代大工をしている。②の家の屋号はアブラヤ(油屋)というが、職業はウンソウ(運送)をしていた。⓷の家の屋号はカノウヤ(叶屋)といい、ウンソウを戦後までやっていた。④の家はタナンチ(店んち)といい、三、四代前まで商売をしていた。菓子・煎餅・油などのほか、薬も扱っていたようであるし、質屋も兼ねていたようである。⑤の家はアンドウサマ(安藤様)といい、この屋号は、この家の先祖が安藤様に仕えていたことによるという。⑥の家はナカンチ(中んち)という。⑦の家はサカヤ(酒屋)といい、酒の製造をしていた。この家は戸長もしていた。⑧の家はサカンヤ(左官屋)といい、代々左官屋をしていて、石戸宿の何軒もある左官屋ほこの家で修業したようである。⑨の家はホウエンサマ(法印様)という。⑩の家はナカノタナ(中の店)といい、この家は現在も商店である。⑪の家は屋号はない。⑫の家はゲタヤ(下駄屋)といい、二代くらい前の人が下駄の修理をしていたという。⑬の家はアメヤ(飴屋)という。⑭の家はバクロウ(馬喰)といい、この家の人が馬喰のところに勤めていたのだという。⑮の家は屋号がない。⑯の家は㉜の家から隠居にでたので、屋号が隠居という。
以上が東側の家で、次に西側の家を上からみていく。
⑰の家はカミダナ(上店)という。⑱の家はタバコヤ(煙草)である。⑲から㉔の家は特に屋号はない。㉕の家はドウグヤ(道具屋)という。㉖の家はサラシヤ(哂屋)といい、行田から材料を持ってきては、布を晒しては行田に持っていった。昭和の初期までやっていた仕事である。㉗の家は㉖の家から分家して菓子屋をしていたので、屋号はカシヤという。㉘の家から㉚の家は屋号がない。㉛の家はトウフヤ(豆腐屋)という。㉜の家は㉓の家からの分家で屋号はシンヤ(新家)といい、職業はコクヤ(穀屋)をしていた。
以上が宿並の店と屋号であり、この屋号の中にカミダナとナカノタナがあるが、下の店はない。しかし、この宿並の下にはシモノタナという屋号の家があった。

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