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第5章 交通・交易

第3節 運搬具

表1 各村毎の牛馬の頭数と荷車の台数
(『武蔵国郡村誌』より)
村 名牛馬荷 車
 石戸宿27 6 
 下石戸上20 15 
 下石戸下22 17 
2 (人力車)
 荒井21 15 
 高尾32 11 
 古市場7 2 
 別所6 4 
 常光0 0 
 花野木0 0 
 中丸30 30 
 山中7 2 
 本宿17 0 
 宮内20 3 
 東間9 24 
 深井9 4 
『武蔵国郡村誌』には村毎に牛馬や荷車などについて記している。これをみると、常光村と花野木村には馬も荷車もないが、本宿村は馬が一七頭いるが荷車はない。それ以外の村は馬も荷車もある。下石戸下村の場合は、馬ニニ頭、荷車一七輛、それに人力車二輌がある。
馬は、戦前はまだいたようであり、穀類や肥料の運搬に重要な役割を果たしてきた。荷車については、リヤカーなどの導入以前は、市に穀類などを持っていくときには、必ず使用したものである。
リヤカーが導入されるようになったのは、大正末から昭和始めにかけてである。リヤカーは荷車より便利だったという。
農作業でよく利用された運搬用具はテンビンやサシンボウ(カツギボウともいう)などである。テンビンは堆肥などの肥料の運搬に使った。テンビンは自家製で、真中から割れないでよくしなる檜などを山から伐ってきて、木を柱に添って上部と下部を縛り付け、木と柱の間に石を挟み、木がしなうようにして、テンビンとして使うようにする。サシンボウは大麦とか小麦などを束ねたものを前後一把ないし二把ずつつけて運ぶのである。サシンボウも自家製で、竹ないし杉の棒を長さ六尺くらいにきり、両端を尖らせる。

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