北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第5章 交通・交易

第4節 村を訪れる芸人

正月から二月ころまでに三河漫才が各村を回って歩いた。男二人で、一人は鼓をうち、もう一人が面白おかしい仕種をしながら家中の柱を一本一本誉めて回ったりした。祝儀には金と餅をやったりした。正月には東京から太神楽が来たりもした。
ゴゼは秋から冬にかけて年一回やってきた。目がみえる人一人に、目がみえない人一人の二人一組、目がみえる人一人に、目がみえない人二人の三人一組、目がみえる人一人に、目がみえない人三人の四人一組、などといろいろだったようである。ゴゼは北埼玉とか南埼玉の方から来たという。宿は農家とか安宿だったという。「結核を患った家ではゴゼを泊めるといい」といって、ゴゼの宿になる家もあったという。石戸宿にはゴゼの宿をした家が二軒あった。そのうちの一軒の場合についてみる。目がみえる人一人と目がみえない人三人の計四人で、北川辺町の方からやってくる。ゴゼは所帯道具を背負い、宿にきて、その荷物をそこに置いてから、石戸宿を門付(かどづ)けして歩いた。夜には宿で二時間くらい芸を披露した。その時には近所の人たちも集まってくる。三味線の伴奏で、新内や小諸の馬子歌などが歌われた。翌朝は、食事をしてから次の宿に出かけて行った。もう一軒のゴゼの宿の家に来るゴゼは、その人達が来る時は必ず雨が降るので、「雨降りゴゼ」といわれたという。ゴゼが来ると、金銭の他食物をあげたりした。
猿回しは農家の暇なときに来た。背中に猿を乗せてウチワダイコを持ってくる。
越後から角兵衛獅子もやってきた。農家の暇な十二月ごろである。親方と子供の二人で、親方が太鼓を持ち、子供は逆立ちやとんぼ返りをした。
正月から三月ごろにかけては春駒が来た。女一人で、縞のタッツケバカマに縞のツツソデを着て、首には手拭を巻いていた。
中丸地区や東間地区には祭文を語る人がいて、門付けをして歩いた。法螺貝を吹きながら「葛の葉の子別れ」や「石童丸」を語った。祭文語りは多くいたので、「あの祭文がうまい」などと評判をとる人もいた。

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