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第6章 衣・食・住

第1節 衣生活

5 仕事着

野良着の概要
男は、「田ん中」も「畑」もだいたい同じである。ジュバンを着て、その上をひもで締め、モモヒキをはく。頭は「ほっかむり」か「麦ワラ帽子」「鳥打ち帽」、足は裸足だった。
女は、「田ん中」は、ジュバンに帯を結びモモヒキをはく。袂袖のときはタスキをし、短かい前掛を締める。頭は手ぬぐいかすげ笠、足は裸足だった。人によっては手甲をする人もいた。「里場」から来た人が、よく手甲をしていた。「畑」のときは、ジュバンか長着の裾をはしょり、腰まきに脚絆かハバキをつけた。しかし、足をひろげてしなければならないサクキリや、ノゲが飛ぶ麦打ちなど、仕事によってはモモヒキをはいた。
以上のような「和服式」野良着から「洋服式」野良着に変化していく時期は、田ん中より畑仕事の方が早く、女より男の方が早かった。昭和十年代末には、男はシャツにズボンの組み合わせがほとんどになる。しかし、このあたりは「ドブッタ」が多かったので、「田ん中」にはその後もモモヒキは残ったが、昭和三十年代の土地改良で田がぬからなくなったり、田植え足袋が普及すると田ん中でもモモヒキははかなくなった。渡辺正蔵さん(宮内 大正三年生)は、昭和三十年ころまでモモヒキをはいたが、たぶん自分が宮内あたりでは最後だったろうという。
女も昭和十年代からモンペの時期があり、昭和三十年近くには若い人はズボン式モンペ(腰と足首にゴムが入っている)になっていた。そうなると、上衣はブラウスになってくる。しかし、女もやはり、田植えは紺絣のジュバンにモモヒキが昭和四十年近くまでみられた。これは、「ドブッタ」という条件もあったが、「春には新しい野良着をおろすもの」という昔からの感覚の名残りと言ってもよいようである。

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