北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第2節 食生活

4 味噌と醤油

醤油
醤油も味噌と同様に自家で作っていたというのが普通であるが、醤油を使うのはぜいたくだなどといわれ、袋の中に味噌を入れて煮たて、それをしぼったもの(これをスマシという)を醤油の替わりとして使用することもあった。ある家ではこのスマシを昭和のごく初めまで用いたという。さらに、大正十年ころまでは高尾の河岸に大きな醤油製造業者がいた。ここから仕入れて計り売りの行商をする者もいた。農家は味噌は作つたが、醤油はあまり作っていなかったので商いになったといわれ、醤油をどの家でも作るようになったのは、味噌に比ベてそう古いことでもないようである。また、醤油作りには、醤油屋といわれるモロミ(醸造後、まだこしていない醤油)をしぼる商売人が早くから係わっていた。醤油屋は、大宮や桶川・大石(上尾市)・荒井などあちこちにいて、小麦などの材料を用意しておくと回ってきて全部仕込んだり、材料を渡して頼むと樽に仕込んで持って来てくれた。
前日に小麦をホウロクでいり、菌を混ぜてコウジを作る(醤油は小麦のコウジを使う)。そして大豆を煮て、豆一斗、麦一斗、塩一斗、水一斗くらいをモロミ樽に仕込む。これは母屋の軒下などに置いて、そこを家人が出入りするたびに、竹の柄の先に板がついた棒でかき回した。仕込みは春に行い、ひと夏かき回して、秋に醤油屋が道具を持って来てしぼる。麻でできた醤油袋にモロミを入れ、それをフネといわれる箱状のものに詰めて、上から重しをかけてしめる。ここから出てきた液を煮たものが醤油になる。しぼった醤油は、醤油樽に入れておき、しぼった後のかすは堆肥に混ぜ込んで肥料とした。家族が多かったので、一斗入る樽に一〇本も取る家があったという。

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