北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第3節 住居

1 屋敷取り

屋敷取リ
北本市の標準的な屋敷取りは、次のようにいえよう。南向きの母屋を中心に前面に庭、東側に便所、灰小屋、堆肥小屋、木の葉小屋。左手前に農作業をする小屋、右手にもある場合もある。入り口は左手前が多い。右手後ろに物置ないしは土蔵と屋敷神。左手後ろに味噌小屋。後ろに井戸、または水屋。右手横から後ろにかけて防風林がある。以上を含む範囲を包括的にヤシキ(屋敷)といっている。冬の北西からの強い季節風を防ぐことと、庭への日当たりが特に配慮されているといえよう。

図13 「標準的な屋敷取り」

図14 屋敷取り

(石戸宿九丁)昭和50年1月

母屋は屋敷の中央から少し後方に片寄せて建てる。向きは真南より、やや東(十度弱)に向ける。
屋敷の庭から公道まではケード・カイドウという私道で結ばれている。五〇メートルに達する長いものもある。ケードは内と外を結ぶ回廊のような役割をしている。しかし、意識のうちでは、私道が公道に接続する所をカド(門)といい、ここがイ工(家)の内と外を分ける境であり、出入口であった。なお、公道からケード、ケードからニワへの境には、戸を閉めるといったような障害物はないのが一般であった。普通の農家では生垣の一部だけ開け、そこを出入りに使うのが通例である。

写真17 屋敷の入口

写真18 長屋門

松村敬氏宅(宮内)

家格の象徴としての門には、市内にも腕木門、冠木門、長屋門などあるが、特に長屋門は名主を勤めたり大地主であったりした家に限られ数少ない。高尾の新井弥太郎氏宅、宮内の松村敬氏宅の長屋門が代表的なものである。

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