北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第3節 住居

2 母屋

座敷などの呼称
今日、座敷などの呼称は家々によりまちまちで、一般性を求めることは困難である。従って、市内で割合普遍的に使われていると考えられる呼称を便宜的に示し(図18参照)、この節の説明はその呼称を使っていくことにする。

図18 北本市域の標準的な農家の間取りと呼称

①「デエ」またはデイの呼び方はかなり普遍的である。その他、マエデエ・トコノマ・オク等。床の間と仏壇を置く場所を西側に張りだしている。
②単に「ザシキ」というとこの部屋をさす場合が多い。なお、ザシキのすぐ前の庇または軒下の土間の部分をサモトといった。縁側がデエの前に付けられるようになっても、しばらくはサモトには作られることなく、縁台などが置かれていた。また、市内の古い家にはサモトに面したザシキの鴨居の上には一間幅の狭間窓があり、この下を特にサモトといったという。
③「ヘヤ」はへイヤ・オク・オクノマ・ネベヤなどと呼ばれる。既に祭られる意味が失われた「へイヤ・ヘヤ神樣」が祭られていた。
④「カッテザシキ」。この部屋の呼称が一番定かでない。他に、カッテ・チャノマ・奥の座敷など。古い呼称とすれば、カッテ・チャノマであろう。
⑤「アガリハナ」・⑥「カッテ」には共に例外はないといえる。
⑦「ダイドコロ」は本来、土間の全域の呼称で、睡眠をとること以外の一切がここで行われた。
以上が市内の標準的な四間取り民家の呼称と考えて良いとおもう。

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