北本市史 民俗編 民俗編一覧
第6章 衣・食・住
第3節 住居
2 母屋
ダイドコロの利用母屋の半分ちかくを占める土間はダイドコロ・デエドコロと呼ばれる。かつての農家の生活はこの広いダイドコロがなくては成り立たなかった。木小屋がなかったころは、雨降りの日の作業や夜なべ仕事として、稲こき、クルり棒打ち、カラウス(唐臼)ひきなどがダイドコロのタタキの上で行われたのである。ダイドコロの天井はクルリ棒が打てるだけの高さがなければならなかった。農家の働き手は朝起きて寝るまで、ハダシと泥のついた仕事着ですごすのであるから、床部分を使うことなく、食事をはじめ一切のことをこのダイドコロで行ったのである。
写真27 出入り口
峰尾隆司氏宅(石戸宿)
写真28 土間のようす
地面の部分は固く叩き締められていて、タタキとよばれている。壁土と水と石灰を混ぜ、こねまぜ、棒でたたいて仕上げるのである。
タタキのすみには、水がめ、戸棚や鍋棚、米俵、または米びつ、縁台、腰掛、味噌、醤油や漬物の樽などが置かれていたし、下駄箱、自転車、臼と杵、農具なども置かれる。シモトブや流しのそばのように人の出入りの多い所に醤油のモロミ桶を置く。壁には鍬や鎌や鋸などが掛けられている。
図19 山田政雄(下石戸下)
図20 小川春信氏宅(山中)
図21 斉藤徳治氏宅(山中)
図22 島村永治氏宅(石戸宿)
図23 遠藤芳昭氏宅(荒井)
図24 諏訪義忠氏宅(下石戸上)
写真29 タナギ
土間から煙出しを臨む。手斧けずりの天井根太に、丸竹を使った簀の子天井。左下のところに、大国柱がある。
また、ダイドコロは日常的な隣人たちの行き来のさいの応対の場であって、特に改まった客でないかぎり、その応接はダイドコロのアガリハナで処理されるのが普通であった。