北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第6章 衣・食・住

第3節 住居

3 付属屋

便 所

写真36 便所(北中丸)

農家には、母屋に取り付けられている便所と、母屋とは別に作られている便所の二か所がある。前者はウエノベンジョ・カミベンジョ・カミゴーカなど、後者はシタノベンジョ・シモベンジョ・シモゴーカなどとよばれた。上の便所は、人寄せや夜に限って使われ、自作農以上の家でないと設置されることは少なかった。そもそも、農家はハダシの生活が多く、いちいち足を洗ったりしてはいられない。従って、便所といえば下の便所をさすのが普通であった。便所をさす言葉にはこの他にチョウズバ・セッチン・セッチングラなどがあるが、これは下の便所にたいして使われている。
大正時代の末ころまでの便所には、粗末なものも多く、四本の丸棒を建て、コモか藁で囲い、前の入り口にはムシロを吊るしたものがあった。中は、お椀のような形をした瓶を埋め、その上に板を二枚渡し踏み板としてあった。その後、四方に泥壁を塗ったり、トタン屋根を載せたりしたが、基本的な造りは変わらない。
便所は単なる糞尿の排泄場所ではない。現金収入の少なかった農家にとって便所は重要な肥料確保の場であって、排泄のためには実用ぎりぎりのところですませたのである。近くに肥溜を作っておく家も多かった。

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