北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第7章 人の一生

第1節 産育

宮参り
市域では、宮参りのことをミヤマイリとかオミヤマイリといい、男の子は生後二一日目、女の子は三一日目に行われた。初子のばあいは、男女ともひときわ派手で、親元から家紋付きの着物が贈られた。
朝日地区のYさん(明治四十三年生)は、オミヤマイリは、男の子は二一日、女の子は三一日で、この日の朝、生児に湯をつかわせ、神様に詣でるのにおなかの中にいたときの髪は、不浄であるので産毛を剃り、剃りとった毛は神社の縁の下に埋め納めたという。剃りとった毛は、道に捨てると人に踏まれ、その子の頭が痛くなるといわれ、決して道には捨てるものではなかったという。お宮参りの日は、兄弟、近所、クミアイ(組合)、仲人、親戚の人をお祝いの席に呼んだ。仲人には、お祝いの席に呼ぶとき餅などをもって挨拶に行った。また、この日は、産見舞いにきてくれた人たちにもお返しをしたという。男の子のソウリョウ(総領)のときだけは、宮参りの前に隣組の人たちは、お金を包んでお祝いにきてくれたという。

写真4 お宮参り(宮内)

鯛の折りや酒、赤飯、けんちん汁、きんぴらごぼう、数の子、蓮、ちくわの煮物などを出してお祝いの席を設けた。座敷が済むと親元から贈られた綿入れの肌着、女の子であったら元禄袖の綿入れの単衣、男の子のばあいは、筒袖の袷と熨斗目の着物(紋付きの一番着)を着たアカッコ(赤子)を、姑もしくは里の母親が抱き、鶴亀、鷹の模様の付いたオブギ(産着)を掛け、本家や、姉妹と嫁は、お重に詰めた赤飯とせんべいや菓子、秋ならば、ミカンなどを持って、はじめに屋敷に祭ってある屋敷神様と家の中に祭っている神様にお参りして、それから村の鎮守様にお参りに行ったという。
荒井地区のTさん(大正十二年生)は、お参りに行くと高尾の氷川様などは太鼓を鳴らして祝福してくれたという。また、境内は、むかしは子どもたちが遊び場としていたので、お宮参りとわかると近所の人や子どもたちが集まってきたもので、赤飯やお菓子、ミカンなどを分けてあげたものであった。子どもたちとの仲間入りとか披露といった。このとき、赤飯が残るのは縁起が悪いので神社に納めたり、近所の人たちにあげてくる習わしになっているという。
荒井地区のEさん(明治三十二年生)によると、宮参りの日が女の子が十日遅いのは、女の子の方が産後の肥立ちが悪いからで、女の子を出産する方が母親にもこたえるのだという。
お宮参りが済むと、マゴノイチゲン(孫の一見)と言って、嫁は我が子と初めて里帰りをする。実家には赤飯をもって一晩だけ泊ってくる。宮参りのフタバンドマリ(二晚泊り)はいけないといわれ、必ずー晚で帰ってきた

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