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第7章 人の一生

第1節 産育

安産祈願
嫁が妊娠したことをミゴモル(身籠る)とかハラム(孕む)という。ミゴモルと大概の嫁は家の者にいいづらく、里の親に知らせるか、夫にいって家族がお茶飲みでくつろいでいるときなどに、夫から家の者にいってもらった。しかしなかには、姑さんに先に知らせたという人もいた。
出産は、女性にとって時には命がけの仕事であり、出産に対する不安もひとしおである。産婦自身はもとより、姑、実家の母親たち、そして夫とて出産が軽く、生まれてくる子どもが丈夫であるように、と神々に析願をしたものである。
安産祈願の為に行く場所は、市域では、正直観音(比企郡川島町正直の新義真言宗潮音寺)と山王様(鴻巣市箕田の三ッ木神社)の名が最も多く聞かれる。このほかには、北本市東間の浅間神社、桶川市篠津の多気比売(たきひめ)神社(姫宮様)群馬県太田市の呑竜様(大光院)、東京都中央区人形町の水天宮、山梨県の富士浅間神社、宮城県塩釜市の塩釜神社などがある。また、石戸宿では、子の多い人の身に付けたものを付けると子宝に惠まれるといい、東間地区では、夫の褌(ふんどし)を締めれば産が軽くなると信じられていた。

写真1 安産祈願

(川島町正直観音)

写真2 お札

(川島町正直観音)

写真3 お札

(鴻巣市山王様)

荒井、高尾地区などては、子どもを産める年齢の嫁と年寄りの女性数名で安産祈顚の講を構成していた。この講のことをカンノン講(観音講)といっている。高尾のA (明治四十年生)さんが、講に入っていたころは、二月十一日ころが開講でこの日は当番の家(宿)に集まり飲食をしながら卜ウバン(代参)をくじ引きで選んだという。くじ引きで選ばれた代参の人たちは、二月二十一日(正直観音の縁日)のころになると、正直観音へ行き、護摩を焚いてもらい、オサゴ(米)、お姿(十一面観音)のお札、燃え残りのオロウ(蠟燭)、帯をいただいてきて講中の妊婦の人たちに配る。この時にいただいた帯は小さなもので、妊婦が腹帯の中に御守りとして入れたという。また、お産が始まるといただいてきたオロウに産婆が火をともした。このオロウが燃え尽きる間に出産するといわれ、いただいてくるオロウは短ければ短いほど安産であると信じられていた。無事に出産すると、お礼参りといって今度は代参でなく、自分で子どもをおぶって参拝し、護摩を焚いてもらい、腹帯と蝋燭を倍にして正直観音に納めてくる。婦人たちは、観音講に入って五、六年たつと抜けていく。観音講は荒井地区では、昭和三十年ごろ解散したが、下石戸地区では今日も続けられている。
また、昭和初期朝日地区では、安産祈願のために鴻巣の三ッ木の山王様まで半日ばかりかけてお参りに行き、猿の絵馬や祈禱料を納めてお札と安産の御守りを頂いてきたという。

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