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第7章 人の一生

第2節 結婚

1 結婚の条件

結 納
結納を婚約のしるしとして花嫁・花婿の仕度を調える祝金を取り交し、婚礼の日取りなどを決め、以後双方違約しない契機とするというのが、現代的な考え方である。しかしながら、金を納める以前の姿として、柳樽・角(つの)樽を担いで、菓子折を持ってでかけていって飲食して、お互いの家の様子を語り合い、両方の固めの約束を交わし、御祝儀の日取りも決めたという「タルイレ」や「クチガタメ」の事例がある。また結納など交わさないままに結婚した人も多かったということをみると、結納の儀式として目録の品とともに金を納めるなどということは、一般庶民の婚姻習俗にはなかったもので、大正以後時代とともに都会風のやり方が農村部に浸透するにつれて、形式化されたものと思われる。
常光別所では、結納のとき男の方から女の方へ酒を届けることをタルイレ(樽入れ)という。北中丸では、タルイレには菓子折を持って仲人と親戚が娘の家に行き、話を決め、御祝儀の日を決めた。

写真13 結納品(西高尾)

タルイレを結納と同じ儀礼と解しているところもある。仲人が帯代を持ち、それに酒樽を持って行く。また、五・七・九・一一という奇数の項目の書いてある目録を添える。娘の方では帯代の十分の一を袴代として返す。仲人は御馳走になり、後日に御祝儀の日を決める。婿もついて行く。嫁の家では本家・分家・親戚を呼んで婿の顔見せをして御馳走を出す。嫁方では目録の受書を仲人に渡す。
結納の日取りは大安とか友引きとか良い日をみて決める。婿方から嫁方へ結納の品七品を仲人が届ける。嫁方では袴代として、結納金の一割から三割ほどを婿方の方へあとで返した。贈る方は仲人さんと、立会人として婿の叔父さんなどをつれていった。仲人さんとどっちかの片親がついて行けば良いというところもある。結納の金額は財産程度によって皆違うが、花嫁の支度金の意味で帯代とみられた。大正八年のとき、米一俵八円の時代に、高尾のAさんの結納金が五〇円だった。普通五円から一〇円が多かった。
「結納取り引きをした以上は、娘はこの家のもんじゃないんだから、嫁に行かなければ手金倍返しになる」とよくいわれた。高尾のSさんは、五〇円の結納金で五円の袴返し、四五円で嫁入りしたが、タンス一本買ったらなくなっちゃったと笑う。仲人さんと実家の父親とで結納をかわした。結納と袴返しは、約束事だから必ずやり取りするものだった。結納は次の次第でやった。
①男の仲人と婿方の本家の主人が結納金と結納品を持って嫁方へ行く。結納品は現在は目録であるが、以前はスルメ ・ゴマメ ・鰹節・トモシラガ(麻)・昆布など五品または七品であり、現物であった。白扇・ツノ樽もつく。
②嫁方ではウドンや赤飯を出し、労をねぎらい、受書を渡す。酒などでもてなす。
③嫁方で受書をもらい、袴代を仲人に渡す。その足で婿方へ行き、受書を渡し、結婚式の日どりを決める。
常光別所のKさんのときは、昭和十一年のころで、結納の一〇〇円ぐらいを出してもらう方は、一生嫁として使うんだから思えば安いもんだという。結納金一〇〇円といっても、三つ重ねのタンスが五五円、上下一間の夜具を入れる重ね戸棚が三五円・張り板五円・鏡台五円・下駄箱五円と、道具を買うとおしまいだった。嫁方では受書と袴代として三〇円を仲人に渡した。
結納引っ越しといって婚礼のときに結納を持って行ったところもある。

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