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第7章 人の一生

第3節 葬送

1 死と霊

ユカン・ニュウカン
死者はユカン(湯灌)をして生前の穢れをきれいに清めてから、棺桶に納めるニュウカン(入棺)をする。死者が娘などの場合は、さらに死に化粧をして入棺した。
人が亡くなると、隣組の人逹が棺箱を買いに行った。ぞうり、衣装など死人に持たせるもの一式も一緒に棺箱屋(葬儀屋)から買ってきた。鴻巣にエビス屋という棺箱屋があった。死者を入れる棺は、身上のある家は寝棺、普通の家は座棺だった。昭和三十三年に亡くなった人のときは、座棺の土葬であった。七年前の人の時も土葬だった。今は寝棺の火葬になっている。人が亡くなると、近親者が関節を動かしてあぐらに組ませた。そうしないとかたくなってしまって動かせず、座棺に入れられないからである。ニッカンの時は、アラナワを腰に巻き、縦結びにして、死者の体を水できれいに浄めて、タオルなどで拭いてやる。男なら越中ふんどし、女なら腰巻をつけさせ浴衣を着せ、経帷子をつける。首からはずだ袋をかけ、中には死者が好きだったものを入れる。その後、出棺前にナタのミネで釘を打ちふたをする。ニッカンに使うぬるま湯は水に湯を足して作る。入棺に使ったアラナワやタオルは焼いてしまう。ぬるま湯はヤマ(裏の林)へ持っていって捨てる。夫が亡くなったときは、奥さんが自分の髪の毛を切って、棺の中に入れてやる(荒井)。
入棺に際して、亡くなった人の子供、叔父、叔母、孫などの近親者が身体を洗ってやる。その時のいでたちは、裸で縄の帯をしめ、男は褌一つで行う。これをユカン(湯灌)という。湯灌がすむと、死者に帷子を着せ、草鞋をはかせ杖を持たせ、首からは寛永通宝を入れたズダ袋をかけて入棺する。妊娠している人は、湯灌をしてはいけない。湯灌で使った水は、墓地の片隅にある捨て場へ捨てた。ナタの峰で釘を打ち、棺のふたをする。これは近親者がやる。その後、棺にさらしを巻く(下石戸上)。
トムライの当日か前日にニッカンをする。死者の体を清めるため、釜で湯を沸かし、タライに水をはり、その後湯を入れる逆さ水にして洗ってやる。濃い親戚の人が荒縄を腰に巻いて行っていた。今では荒縄を一五センチぐらいに切って持って洗う。使った湯と桶は、裏の捨て場に捨てる。死者には一番いい着物と帷子を左前に着せる。足袋は裏返しにして履かせ、草鞋、手甲、脚絆を付け、頭陀袋に紙に描いた六文銭を入れる。金剛杖も入れる。隠し銭を帷子の襟に入れる。額には三角の白紙をつける。草鞋の代りに今は草履をはかせる。また湯灌の時、子供や兄弟などが禅一つで、女の人は上着を脱いで、タライに湯を入れ、買ってきた手桶や柄杓で体を洗ってやる。その湯は床の下に捨てた。手桶や柄杓は寺に捨てる。死者に着せる帷子は、糸の尻を止めず、縫った後も止めずに作る。そして左前に着せる。手甲・脚絆を着け、頭に三角の布を麻で結わえる。足袋は底を抜いて左右反対にはかせる。そしてオタツツァンに紐を結ぶという人もある(北中丸)。
お湯を沸かして床の上に寝ている死者の体をふいてやる。入棺する前には、浴衣なり小ざっぱりしたものを死者に着せる。お葬式の始まる前に、そこの家から出た親族一同で仏にさわる。隣り組の者は手を出さない(常光別所)。
人が亡くなると、隣組の人が棺を頼みにいく。棺には、手甲・脚絆・財布・草鞋・浴衣・経帷子などの葬具一式がついてくる。一〇年前ごろまではタテ棺が多かったが、今は寝棺である。入棺の時、濃い親戚の人や身内の人が、死者の体をアルコールやお湯でふく。死者が使うといわれる杖は、隣組の人が作り、棺の中に入れてやる。葬式の前の晚、お寺さんが来て、入棺をして念仏の紙を張ってくれた。その紙を見て、親戚の人が念仏をしてくれた(高尾)。
二ッ家のGさん(明治三十八年生)の話。私らも見たことがないが、私が小さい時、母の実家のおじいさんが亡くなったとき、大騒ぎしていたことをかすかに覚えている。タライに湯を入れて、畳をあげて板の間にして、タライの中でおじいさんを洗っている姿だった。

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