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第7章 人の一生

第3節 葬送

4 葬制・墓制

その他の異常葬法
同じ家で次々に死者が出ることも異常である。続けて二人死人がでると人形を一緒に埋める。
北中丸では、一家で二人続けて死ぬと、二番目に死んだ人と一緒に人形を埋める。
常光別所では、死者が二人続くと、二度あることは三度ある。三人も続けて死人が出ると困るといって、藁人形を作っていき、脇に穴を掘って、その人形を埋けた。
伝染病で死亡した場合は、たいてい村はずれの不浄物の焼却場などに臨時の焼場を作り、薪を積みあげて火葬していた。昔は火葬を嫌い土葬が一般的であった。各地のムラの人で最初に火葬になったのは、戦死者である。
別所と古市場の共同の焼場が北本高校の向うの竹藪の所にあった。大正の初めころは、伝染病で死んだ者だけはそこで焼いた。衛生員が立ち会って、穴を掘って、薪を井桁に組んで、石油をかけて焼いた。なかなか焼けなかった。大正六年生れの別所のYさんが小さいころ、焼いたのを覚えている。土葬だと二人続けて死ぬと寝棺であるから、埋ける場所がなくなってしまう。新しいものを床掘りすると、脇から新仏が坐ったまま出て来る時もあったし、骨やスリバチが出てきたりした。極(ごく)昔は、流行(はや)り病いで死ぬと、石灰をぶっこんで埋葬したので、その石灰が出ることもあった。
深井のあたりはずっと土葬で、十五、六年前より火葬も行われるようになった。それ以前は、火葬にするのは、法定伝染病で人が亡くなったときぐらいであったので、「焼場に行く」というと、すぐに病名を聞かれたものだった。
荒井でもしだいに火葬になっているが、それでも土葬と火葬半々ぐらいである。火葬場は現在松山と熊谷を使用している。以前は行田、鴻巣へ行っていた。
お盆は先祖の霊をお迎えして静かに供養する時である。そんな時に死者が出るのも普通ではなかった。常光別所では、昔はお盆に死ぬと、埋める時に仏の頭にスリバチをかぶせて埋葬した。お前は、地蔵堂に行って皆から頭をぶたれてかわいそうだからスリバチをかぶせるのだと、年寄りが言っているのを聞いた。皆はお盆で呼ばれて子孫のところに客に来るのに、盆で死んだ者だけが墓地に呼ばれてくるので、死者の先輩達が、お前だけなんで盆にくるのだといって、頭をぶつという。

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