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第7章 人の一生

第1節 産育

産前産後の食事
嫁が妊振すると、出産前後に里から乳母車、タライ、おむつ(オシメ)、産着、ベビーダンスなどが今日でも贈られている。市域では、昭和二十年代までは鰹節、米、味噌、生きた鯉などを贈る習慣が盛んであった。腹帯を巻きはじめたり臨月が近づいたりすると実家では、大安の日を選んでチカラゴイ(力鯉)といって二〇〇から三〇〇匁(約一キログラム)の鯉を届けにきた。明治初期のころは、一匹で、大正のころは二匹になったようである。鴻巣市常光あたりの川のそばに鯉屋がありそこで買った人もいる。鯉をまるごと一匹、嫁に味噌で煮て食べさせると精がつき乳が出るようになってよいとか、元気よく出産できるといわれていた。大正ごろは、食べた後の鲤の尾を裏口の戸口の上に広げて張りつけておいた。生まれてくる子が丈夫な子どもに育つように張っておくのだという。産後も力をつけるようにと食べさせられた。
また、実家からは、お産が軽くなるようにと、鶏の初産の卵も持ってきた。
出産後は、チカラゴメ (力米)といって五升から一斗(九から一八リットル)の米が親元から届けられてきたという。チカラゴメは、力がついて産後の肥立ちが良いといわれ、お粥にして味噌を入れて食べたという。
妊婦には、油濃い食べ物は良くないとされているが、昭和初期のころ荒井地区では、鶏の肉とガラ(骨)をたたいて団子にし、油で炒め味付けして食べさせた例もあった。
実家の母親は、お産のときからオシチヤ(お七夜)ごろまで娘の食事や身の回りの世話をしに娘の嫁ぎ先へ通いつめた。オシメを洗ったり、昼と夜にチカラゴメでお粥を作って、鰹節に味噌の食事の準備をするのが普通であった。妊産婦にとって鰹節は、「ドクではなくネヲマワス」といって疲れをとって丈夫にしてくれるものだという。干瓢の煮物や干瓢の味噌汁があれば良いほうだったという。

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