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第8章 信仰

第2節 堂庵

北中丸の堂庵について
『風土記稿』には五宇を載せ、薬師堂・太子堂・観音堂には 「以上三ヶ所ともに村民持」とあり、地蔵堂の一つには「蝦堂と唱ふ、相伝ふ往古村内の蓮沼にして、村民蝦を漁れり、其網にかかりて上りしかば、草堂を営み安ぜし像なりと、この側に老松ありて蝦堂松と唱ふと云ふ」とあるが、もう一つの地蔵堂には何の記載もない。『郡村誌』には堂の記載は何もないが、これらのいくつかは今に続いてきている。
地蔵堂に墓を持っているのは西が中心で、他に東や南の家もある。ここに墓を持つ家を七つに分け、一人ずつ総代が出ている。二年交代である。総代の主な仕事は、掃除、草取りで、草取りは年二回、夏(盆前)と秋にする。

写真21 太子堂(北中丸)

写真22 阿弥陀堂(高蔵寺 花ノ木)

お祭りなどは何もしていない。
本尊の地蔵様は安養院の方へ行っている。
太子堂は、加藤姓二一軒でお守りしている。八月十日に檀家が集まって墓の掃除をするだけで、特に行事というものは何もしていない。葬式に利用することもない。
加藤姓二一軒の檀那寺は安養院あるいは寿命院であるが、堂内の記念額には「安養院本殿改築寄付、太子堂一同、昭和六二年三月吉日」として、加藤姓二一名の連名がある。
花ノ木には現在、阿弥陀堂がある。『郡村誌』によると、明治四年十一月廃寺になった高蔵寺跡にありとなっている。
今は区長が責任者となっており、ここに墓を持つ家の人が春・秋の彼岸と盆の前に墓掃除をするだけで、行事などは何もしていない。

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