北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第8章 信仰

第4節 講

1 市内の講

深井では戦前まで、榛名講(農家の神様)、宝登山講(火除けの神様)、石尊講(出世の神様)などやっていたが、今も残っているのは第二の榛名講だけである。深井は戦前まで、上・中・下・原に分かれていたが、戦争中に第一~第三までとなり、それが今に続いている。
元は第二も全戸入っていたが、今は十一戸となっている。毎年四月の都合のいい日に二人で、群馬の榛名神社に代参に行く。代参から帰ってくると、お札を配りながら榛名講の日を連絡して歩き、代参者の家を宿にして飲食し、翌年の代参者を決める。今は車で日帰りであるが、昔は地下足袋をはいて歩いて行き、伊香保に一泊してきたという。榛名様のお札は麦畑に立てるが、嵐除けという。
また第一では、十年位前から七月二十四日にゴッタ講をしている。これは、榛名講・石尊講・宝登山講・ノアガリを公会堂で一緒にやることからそう呼ばれている。昔は各講ごと、代参者の家を宿にして行ったという。
宮内の上グルワとジンガと合わせて三一軒の農家で、御嶽講と榛名講を一緒にしたゴツタ講をしている。
代参は両講合わせて八名で、この八名が代参から帰って来て、会計をする時期と場所を決めるが、この四〜五年は二月ごろに、鬼怒川温泉など旅行に行ってやっている。
旅館に着くと、御嶽神社と榛名神社の掛軸を座敷の床の間に飾り、御神酒を上げ、皆も一杯ずつ冷で飲んでから代参のクジをひき、それぞれ来年行く者を決める。
御嶽講は代参三名で、日帰り。二月二十八日が縁日であるが、御師からの連絡によって縁日近くの休日を利用して出かける。お札を受けてきて、代参者が各戸に配る。
榛名講は代参五名で、四月十五日頃に花見を兼ねて行く。縁日は御師のところもいっぱいになるので、御師から適当な日を指定してくる。御師のところでは、お札を頂き、食事をし、泊まりは伊香保温泉に一泊してくる。
頂いてきたお札は、代参者が各戸に配るが、他に嵐除けとして辻札を二枚(ニカ所分)頂いてくる。
阿夫利講も代参三名でやっていたが、五年程前に止めてしまった。しかし、講の集まりだけは今もやっており、三一軒の講員中、若い者だけが神社の社務所に集まり、一杯やる。商店からの寄付などがあるので、講員の出費はない。
大山灯籠も七月二十五日から一カ月間、順番で二軒ずつ回り番になっている家のどちらかの家の庭に立て、電気でつけている。灯籠は普段は神社にしまってある。
北中丸と山中の若い衆全部(一八〇戸前後)で榛名講をやっている。規約があって、講の内容が決められている。組ごと(東・西・南・北・山中)の当番になっているので、五年に一度当番が回ってくるが、大体区長が行ってくることになる。
向こうでは御師が決まっていて、昼食を出してくれ、お札類もすべて御師が用意してくれる。各戸のお札と辻札を戴いてくるが、代参の人には他に、大きなお札と団扇などもくれる。伊香保温泉で一泊してくる。
費用は各戸割で徴収する。
この大字北中丸と山中とでやる榛名講の他に、北中丸の南だけでも榛名講をやっている。
農家の希望者二十一戸程で、一覧表で順番が決まっている。各戸割で費用を徴収し、四人ずつで代参し、一泊してくる。二十一戸分のお札だけを頂いてくる。
北中丸の南と西と一緒に二十一軒程で宝登山講をやっている。規約があって、五軒に一人の代参者と五月上旬に行くことが決められており、四人で代参に行く。順番は一覧表で決まっていて、お箱にお札が入っていて、それを取り替えてくる。盗難・火災除けという。行くと神社の方で昼食を用意してくれる。
費用は行く人が講員から徴収する。
皆が一同に集まるということはほとんどなく、代参者が都合の良い日に行って、帰ってきてお箱を配るだけである。もとは集まってやったりしていたが、集まると飲み食いということになり、いろいろ準備も大変だということで、今のように簡単になっている。
北中丸の西では希望者十戸程で、岩根講(埼玉県長滯町)をやっている。抽選で順番をみな決めてしまい、四月から五月にかけて適当な日に行く。祭礼は四月十七日である。
日帰りで二人ずつの代参となっており、帰ってきてから皆集まって一杯飲んで、お札を配ったり、費用を徴収したりする。もとは代参者の家を使ったが、昭和六十二年からは公会堂を使っている。
五年で一回りすると、もう一度抽選して、再び順番を決める。
北中丸の東および南からも幾人か希望者が入って、戸隠講(長野県戸隠村)をやっている。二泊三日で、一泊は御師のところ、もう一泊は旅馆に泊ってくる。
北中丸の南と東とで、それぞれ観音講(正直観音)を別々にやっている。女の人の講で、子供が良く育つようにと希望する者でやっている。二月二十一日の縁日に代参に行くが、その時は南・東一緒に車で行って、すぐに帰ってくる。
年番が決まっていて、公会堂に集まって費用を集めたり、お札を配ったりする。
常光別所では、昔からの農家三九戸で、榛名講・石尊講・雷電講を一緒にしたゴッタ講を二月の第一日曜日に行っている。もとは旧正月の二月一日だったが、兼業農家も増え、休日の方が都合が良いというので二年前から今のようになった。

写真38 榛名耕講辻札・筒粥表

公会堂に集まり、榛名講四人、石尊講二人、雷電講二人の代参君をクジで各講ごとに決める。この日の飲食の準備は、前年の代参者が行う。
代参に決った者は、三月から四月にかけて、都合の良い日に日帰りで行ってお札を頂いてき、各戸に配る。
石戸宿の本宿では、榛名講・御嶽講・大山講をやっていたが、昭和六十一年に大山講が終わり、昭和六十三年には御岳講が終わって、現在続いて行われているのは榛名講だけである。
御嶽講は講員が十二名で、二名ずつの代参であったが、昭和六十三年に一回りして、新講ができずにやめてしまった。
これら三つの講をまだやっていたころには、三月初午の前にこれらの講を一緒にした大講というのがあった。そこでクジを引き、当たった者が自分の都合の良い日に代参に行ってお札を戴いて来、それを講員に配った。代参者も四名ずつだったが、潮員が少なくなったので二名になった。
昭和三十年ころに、この大講を新年会の代わりにすることになった。区長が中心となり、天神社の年行事が手伝って飲食するだけであるが、この時に鳥飯を作る。そのためにカシキという役があって、十人ずつ順番が決まっていて、その人たちが支度をする。この役は本宿の全戸が順にやることになっていて、今も続いている。この新年会代わりの大講で、各講に入っている人はクジを引いて代参者を選ぶ。
現在残っている榛名講は、二八軒で代参は二名ずつ、三月ころに行ってくる。日帰りで、講員のお札の他に、辻札ももらってきて道に立てる。昔は代参正月もでたが、今はそんなこともない。

写真39 榛名講辻札

写真40 大山灯籠(石戸宿)

石戸宿の九丁では、昔からの農家十七戸程で、榛名講、石尊講、御岳講を一緒にした大講を三月の第一日曜日に行っている。
集会所に集まって掛軸をかけ、飲食して、コヨリに神社の名前を書いたのを引いてもらい、来年代参に行く人を二名ずつ決める。この時費用を徴収して、去年決まった人が都合の良い日を見計らって代参に行ってくる。
また、七月二十七日から八月十七日まで、天王様の庭に石尊灯籠を立てる。これは、地区の行事のひとつとしてやっており、立てる時は全戸に集まってもらい、立ててから一杯やる。倒すのは区長と班長とでやってしまう。この灯籠に火を入れるのは全戸にやってもらい、家並順になっていて、当番の板を回していく。最後の八月十七日に当番になった人は来年の七月二十七日まで、当番の板を預かっておくことになる。
石戸宿の横田では、昭和五十年ころまで三峰講か御嶽講・榛名講・石尊搆をやっていたが、皆一緒に一時中止ということにしてしまった。
三峰講か御嶽講というのは、三峰山と御嶽山の神様は同じ神様といわれ、三峰講をやっていて代参が一回りすると三峰講を休み、代わりに御嶽講をやる。御嶽講を一回りすると御岳講を休み、代わりに三峰講をやるというふうにしていたためである。
中止した理由は、農家が少くなり、代参の順番がすぐ回ってくるようになって大変だというのと 信仰でなく仕方なく行くようになってきたこと、止めている地区も多いということなどである。

写真41 大山灯籠(石戸宿)

ただ石尊灯籠は、講を中止した今も、区長(二年任期で再選・留任を妨げず)と班長(一年交代)とで立て、七月二十五日から八月十八日まで火をいれている。立てる場所は、地区持ちの公用地がないので、鈴木タバコ店の前を借りている。灯籠は普段は消防小屋にしまっておく。
灯籠は石油ランプでつけるが、灯龍番が順に決まっていて、一晩一軒ずつ毎日つける。以前は班に関係なく家並に回ったが、今は新しい家が増えてきているので、一班から四班まで、班ごとに一軒ずつ回るようになっている。
「灯明番」と書いた番板があって、それを次々に回していく。不祝儀などがあった時には、ブクがかかっているからということで、その家を飛ばして回す。新しい家でそういう事は好まない、あるいは関心を持たないという時には、飛ばしてもかまわない事になっているが、大体皆つけてくれる。荒井の荒久保も一部入っていて、灯明帯が回っていく。最後の家は、灯明番の番板を一年間預っておいて、次年度に次の家に回していく。この時には忘れないように、灯籠の中に次年度の灯明番のはじめの名前を書いた紙を入れておく。
石戸宿の堀の内では、昭和三十年ころまで榛名講と石尊講をやっていた。榛名講は代参者二名で、四月ころに行き、石尊講は代参者二名で七〜八月ころ行った。地区の総会の時にクジ引きで代参者を決め、代参者が決まると区長からその名前のフレが出た。皆は代参に決まった人の所へお金を持っていき、代参者は帰ってくると、各戸お札を配って歩いた。
下石戸下の台原では、榛名講、大山講、御嶽講、秋葉講、宝登山講をやっている。以前は各講ごと代参に行ってきた人の家に集まり、食事をしてからクジを引き、次の代参者を決めたが、昭和二十七年ころからは集会所で一緒にやっている。榛名講、大山講、御嶽講には台原の家がほとんど入っている。クジは、紙に番号を書き、観世縒にし、講員数より一本多く作り、皆が引いて残ったクジの番号の前後の二名を代参者とする。行った者の分は順次抜いてゆく。
榛名講は代参者四名で、四月に行く。この代参は各講のうちで一番早く行く。以前は伊香保温泉で一泊して来たが、十年位前からは日帰りになっている。
向こうへ着くと、決まっている御師のところへ入って講の帳面を出し、印を押してもらう。朝出ると、十時半ころには御師のところへ着き、それから「お参りに行ってきますからお願いします」といって、お茶を飲んですぐ神社へお参りに行く。帰って来ると、昼食ができているのでそれを食べ、二時間位休んで帰って来る。
大山講は代参者四名で、七月に行く。以前は御師の所に泊って、江の島を回って帰って来たが、今は日帰りである。
御嶽講は代参者三名で、五月に行く。日帰りである。
秋葉講は代参者は一名で、秋に行く。こちらに参加するため、同じような神様である宝登山講へ参加する者は少ない。
宝登山識は代参者二名で、四月に行くが、台原で五〜六戸なので、下久保と一緒にやっている。火防・盗難除けの神様である。
これらの講で戴いてきたお札は、それぞれ代参者が手分けして配る。代参者が帰って来てから、皆が集まることはない。
講は戦前まで、台原と下久保一緒で下組としてやっていたが、以後分かれて台原・下久保とそれぞれでやるようになっている。
下石戸下の下久保では、榛名講、石尊講、御嶽講をやっている。代参者は、正月に集会所でクジにより決められる。一度代参した者はクジから抜けてゆき、最後になると信仰を盛りたてるということで、三人が行く。榛名講と御嶽講は四月、石尊講は七月に代参者が二名ずつ行っている。
それぞれの講先には決まった御師がいて、連絡をしておいてからお札のお金と納め金を持っていく。御師の家では昼食を出してくれる。代参してお札を受けてくると各戸に配るが、もとは各々帰って来るとモノビとなり、代参者の家へ米三合ずつを持ち寄り、次の代参者を決めてから宴となった。
榛名神社では简粥表もくれ、辻札は村の入口三力所に立てる。これは各戸にお札を配る時にしている。
高尾の谷足では女だけの講である正直観音講が行われている。二月二十一日(その前後の日曜日)に前年のクジ引きで代参者にあたった四人が代参に行って来、会館で講が行われる。以前は四人のうちの一人の家を宿として行われた。戴いて来たお札を配り、手打うどん、テンプラなど簡単な料理を食べたりして来年の代参者を決める。この講には年寄りでも若い嫁でもどちらが出ても良いが、女のみの講で、男は出ない。
昭和十二年の「講法則」というのがあり、それには以下のようにある。
講法則
一、本講は毎二月拾七日を以て成すべき事
一、各人壱名ニ付乾湿飯を百匁ニ付其代価を以て支払致べき事
一、各人壱名二付御神酒は参銭ヅツ相出す事
一、代参は御符料は年々拾銭で

荒井の北袋では、農家三五軒程で榛名講をしている。三月初めころに、前年のクジに当たった当番のうちの一軒の家に集まり、本年の当番四名をクジを引いて決める。この当番が三〜四月ころに代参に行ってくる。精算は帰って来てから行う。
同じ北袋で、女の人だけで、信仰する者が二二軒程集まり呑竜講を行っている。当番がお米を集めて五目御飯を食ベる。やり方は榛名講と同じで、当番は四人である。三〜四月ころ代参に行き、講金は帰って来てから精算するが、お賽銭をあげる人もいるので、それを入れて精算する。呑竜様へは、集めた米の中から一升程持っていってあげる。
同じく北袋で信仰する者が二四軒集まって三峰講をやっている。もとは四〇軒もあって、鴻巣の馬室や高尾の丸山・河岸からも来ていたが、二〇年位前に抜けた。
常宿があり、講の始まりはその家の先祖が、あやうく火事になるところをお犬様(三峰神社の日本狼)に知らされて助かったことから始まったという。
十一月の末に集まり、皆で御神酒を飲み、会食して、既に行った人を除いてクジを引き、代参者を二人決める。
講の費用は、各戸お米を五合ずつ集め、一部は神社へも持って行く。昭和三十年代までは秩父の夜祭りにかけて行って楽しんだが、今は花見がてらに春四〜五月初めにかけて行っている。
代参から帰って来ると、各戸にお札を配り、この時お札代と交通費を集める。お札は、各戸には諸難除火防盗賊除の三枚のお札、常宿をしている講元には御眷属の札の入った箱と木札が配られる。

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