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第9章 年中行事

第1節 正月行事

2 大晦日

オミタマ
正月にオミタマサマの棚を作り、オミタマサマという神様を祭る例については、先に述べた。特に棚を作り、オミタマサマを祭るというのではないが、正月棚に十二個の握り飯を供え、これをオミタマと呼んでいる例もある。下石戸下では、大晦日に小さな十二個の握り飯をこしらえ、重箱にいれて年神棚に供える。閏年は十三個供えるという。オミタマを仏壇に供え、正月は神事なので、仏壇を締めきりにする家もある。また、オミタマと同様の握り飯を、オカマサマ(お竈神様)には三個供える。オカマサマに供えた握り飯は、三が日が過ぎるとオタキアゲといって下ろして竈にくベる。向こう一年間火の災いのないよう、子供がやけどなどすることのないように祈るのである。年神様に供えたオミタマは小正月にマユダマ(繭玉団子)と取り替えるまで飾っておく。下石戸下では正月の間、お供え餅を二重ね、年神様とオミタマサマに供えている。オミタマサマというのは、正月に仏壇に祭る神様だという。

写真8 オミタマ様(下石戸下)

石戸宿ては、十二月三十一日に仏様にオニギリを上げる。平年は十二個、閏年は十三個を重箱に入れて上げた。最近は茶碗で上げるだけに変わった。
正月に祭るオミタマサマとは、何だろうか。なぜ、大晦日に握り飯十二個を供えるのだろうか。オミタマサマは年神と関係が深いこと、十二個とか十三個というのは一年の月の数らしいこと、仏壇に供える例もあることから、家の先祖とも関係があるらしいことが分かる。
オミタマとは御魂のことであり、家の先祖の霊なのである。このオミタマサマこそ、徒然草に京にはすたれ、東国にはなおその習俗が残っていることが記されている「歳の暮れの魂祭り」であった。徒然草が書かれて六百数十年、なお、ひっそりと続けられてきた民俗なのである。そして、大晦日に祭る祖霊と正月の年神とが、本来同一のものだったが分化したものであることを暗示している。つまり人々は、家いえの先祖の霊が永くまつられることによって清まり、個性を失って先祖霊というべきものに習合して、正月の年神様になるのではないかと考えていたのである。
では、同様のものをオカマサマに供えるのは、なぜだろうか。オカマサマは竈の神・火の神としての信仰ばかりでなく、農神としての性格や産の神・子供の神としての性格を持ち、また福の神であるエビスダイコク(恵比寿・大黒)との類似性を持つなど、家の神として古い信仰を持ってきた神である。その意味で、年神と同様、作物の豊穣をはじめ、その家の一年間の幸不幸を司る位の高い神様と見なされてきたので、年初にあたって特別に祭るのではないだろうか。正月前に神社から受ける幣束やお祓いの類を総称して力マジメと呼ぶが、これも竈神の注連の意で、特に竈神の幣束を重要視して代表させたのではないかと思われる。
竈神には、三という数字がついてまわる。火の神をサンポウコウジンともよび、三方荒神とか三宝荒神と書き表すこともある。火所は大竈、竈、下囲炉裏で三方だからともいう。本来は、古く石三個をコの字形に並べて竈を築いたことに起因するのであろう。
オミタマサマやオカマサマに供える握り飯は、供物であると同時に、神の依り代の働きをしているのであろう。

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