北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第1節 正月行事

3 正月行事

トシオトコ
正月の間、ワカミズ(若水)をくみ、ゾウニ(雜煮)をこしらえ、トシガミサマにお供えするのは、卜シオトコ(年男)の役目である。市内各地の例をみよう。
下石戸上では、七草までは年男が雑煮などを作り、神棚にお供えした。年男はお供えをする前に朝湯に入り、新しい下着をつけて正装しそれから供物を供えた。朝湯に入って身を清めなければ、バチ(罰)が当たるといわれていた。朝湯は六、七軒のクミアイ(組合)で毎日交代でたてる家もあった。お湯が湧くと「湯がわいたよ一」と告げて歩いた。正月十五日などにも神棚に年男が雑煮をあげる。年男はその家の主が勤めるのが普通だが、息子とか使用人にやらせる家もあった。そのような家では、年神棚にあげてある二、三〇銭の金を報酬として与えた。昭和の初めまでは、正月の十五日まで年男は早く起きてやったが、今は正月三が日くらいしかやらない。年男の手伝いは、生理のある女は穢れているということで決してできなかった。そのため、手伝いはお婆さんか、子供がした。
下石戸下では、三が日は年男が里芋、大根、青菜の入った醬油味の雑煮を作って、神棚に供える。本来は年男が準備するのであるが、女達が前の晩に準備しておいて年男は煮るだけくらいなものである。お供えが飾ってあるので雜煮の餅は供えず、芋と汁だけをあげる。
石戸宿では神棚の飾りは年男がする。ダイジングウ(大神宮)、エビスサマ(恵比寿様)、コウジンサマ(荒神様)の神棚には注連縄を張って、神社で出してくれるオシメを付ける。オシメは天神様の神主さんが切ってくれる。年男をつとめるのは、一家の中心となる男か、若い者である。年男は元日の早朝新しい下着をつけてワカミズ(若水)を汲み、その水で神様のお吸い物をつくって供える。昔は七日間供えていたが、いまは三日間だけ上げている。元は、年男が仕事をしている間は女は起きてはいけないと言っていたが、戦時中、父と夫が出征していたころは、女手で行事もすることが多かった。そのころから、年男もうるさくいわないようになった。
高尾では、正月にはまわり番で朝湯をたて、「朝湯がたったから、入りに来い」と触れて回った。年男を勤めなければならないので、男衆が先に人る。入浴後、自宅に帰ってお正月様にお供えする雑煮を作る。女衆は、朝飯を食べてから湯に入りにいく。
荒井では、年男の仕事はハツミズ(初水)を汲むこと、誰よりも早く起きて三が日の雑煮を作ること、正月の間家族が食べるより前にお初を神様に上げることである。ハツミズを汲む時は、年男は越中ふんどしの新しいのを締め、新しい手桶を用意して、ツルベ(釣瓶)井戸で井戸水を汲んだ。ハツミズはまず神様に進ぜてから、この水で雑煮を作った。年男は一家の主が勤め、朝必ず風呂に入ってのち、神様に参る。
これらの例にみるとおり、トシオトコをつとめるのは、一家の主人、長男、若い者、奉公人など、いずれも男に限られている。大事な年神様を迎え祭るのは、本来一家の主の仕事であった。その意識が時代とともにゆるみ、寒い時期の面倒な仕事だけにしだいに息子とか、若い者へと譲り渡されてきたものであろう。そして、報酬を与えるようにもなってきた。女は血をみるというので、穢れているという観念があった。だから、年神祭りから遠ざけたのであるが、料理を作るのは女にまかせて、神様に供えるだけをする年男も生まれた。風呂は、身を清めるための禊であり、正月に限って共同で風呂をわかすのは、潔斎を厳格に行うためだったのであろう。

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