北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第1節 正月行事

4 六日までの行事

クワイレ・クラビラキ
正月十一日の早朝、クワイレ(鍬入れ)とクラビラキ(蔵開き)を行う。クワイレはサクイレ(作入れ)ともいい、正月の鍬の使い初めであり、田畑の仕事始めである。神様に飾った松とマスに入れた米・餅・ゴマメなどを持ってアキの方の畑にでかけ、松を立てて、マスに入れた米や餅・ゴマメを供え、ニクワ三クワうなって米をまき、「ことしも豊作にお頼みします」と祈る。
クワイレに出かける前に「お蔵を開いてお祝いします」といって蔵を開け、お膳をお供えして祈り、帰って来て閉める。この日はカガミビラキ(鏡開き)の日でもあり、お供えの餅をくずして雑煮をこしらえて、神様や蔵に供えて皆でいただく。
下石戸上では、正月十一日は蔵開きである。朝食後、蔵や物置の扉を開いて、灯明をともし、その前にお膳とお神酒を供えて、一年の無事を祈る。サクイレは鍬と、一升枡にいれてトシガミサマにお供えしておいた白米を持って明きの方の畑に出かけ、一メートルくらいサクをきり、少し米を播いて、新年の豊作を祈る。
下石戸下では、一月十一日は蔵開きである。俵神様といって、大晦日に土間の下大黒柱の所に種籾俵を飾り、幣束を立て、お飾りの餅を供えておくが、蔵開きには、俵神様のお供えを下ろしていただく。サクイレには、俵神様のお供えの紙で幣束を切り、門松にひらひらとつけて、明きの方の畑に持っていく。二サク三サク鍬でサクを切り、幣束を立てて、桝に入れたオサゴ(白米)を播いて、豊作を祈る。
荒井では、一月二日にする家と一月十一日にする家とがある。ある家では、荒神様のハッチョウジメをサカキ(榊)につけて畑に持参し、サクを一間ぐらい切る。この時、一升桝にいれて持参した米をサクの中に播く。その後サクの上にサカキを立てて、豊作を祈る。残った米は持ち帰って、十五日のアズキガユ(小豆粥)のなかに入れる。別の家では、桝の中に割った鏡餅と白米を入れ、幣束を竹につけて畑に持参する。サクを三サク切り、そこに餅や米を供えて土をかける。幣束を立て、「ワセ・ナカテ・オクよくとれるように」と唱えて、豊作を祈る。クワイレにでかける畑の方向は、問わなかった。また、この日は、朝は雑煮、昼はうどん、夜は御飯で、三度とも神様にも供えた。
高尾ではこの日が鏡開きでお供えを下ろす。その後、蔵開きで初めて蔵を開け、鏡開きの雑煮の膳を供え、米を出す。一升桝にいれた米と鍬を持って明きの方の麦畑に出かけ、三条のサクを切り、オカマサマ(お竈様)の餅を供えるのに使った半紙で作った幣束を松の枝につけて立てる。種を落とすといって、米を播いて新年の豊作を祈る。残った米は持ち帰って、十五日のアズキガユに使う。

写真11 クワイレの幣束

深井では正月十一日は蔵開き。お供え餅を下げて雑煮を作り、食べる。その後鍬を担いで家の近くの畑に行って、五本か七本サクを切る。お供えの餅を割って半紙に包んで持っていき、オヒネリにしてサクを切ったところに埋めた。オサゴ(御散米)も播く。これは、今年も早くサクイレができて豊作になるようにする。早朝行って人に見られないようにやったほうがいい、といっていたが、この時分は北風が冷たく、また、土が凍っていて大変だった。
石戸宿では、クワイレは昭和三十年ごろまでやっていた。まず、蔵を開けてクラビラキをする。お神酒と米を蔵に供える。クワイレはトシオトコ(家の主人)が鍬をもって畑に行き、鍬で畑をさくるまねをして畝を三本立てる。そして、葦に白紙をつけた幣束を立て、桝に入れた白米を播いて、「今年も豊作でありますように」と祈る。三本の畝は、ワセ・ナカテ・オクである。
古市場では、正月二日にクワイレをした。畑に行き、鍬で一サクか二サクさくり、神社からきた幣束を立てる。
中丸では、この日年神様の松を持って明きの方の畑に行き、松を立てて鍬でさくり、米を蒔いて、豊作をお祈りしてくる。
農作の仕事始めであり、豊作祈願であるこの行事には、年神様のほか、俵神様、お竈様が関わりが深いこと、どこでも田で行わず、麦畑で行っていることなど、興味深い事例である。

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