北本市史 民俗編 民俗編一覧

全般 >> 北本市史 >> 民俗編 >> 民俗編一覧

第9章 年中行事

第1節 正月行事

4 六日までの行事

オオバン・セチ
オオバン(椀飯、大盤振る舞い)とか、セチ(節)といって、正月中に親類同士がお互いに呼び合って新年会を行うところが多い。呼び合う相手は、イッケ、妻や嫁の実家などである。呼び合う日がだぶらないように本家が先というように、例年家ごとに日取りが決まっていた。
荒井では、正月にセチ(節)またはオセチといって、自宅に親類や知人を招待して、接待した。セチの日は家々によって異なる。正月三が日はほとんどセチが行われることはなかったが、四日ごろから十五日ごろまで続く。七草ごろに行うことが多かった。セチの料理は、家々によってことなるが、例えば切りイ力と人参・牛劳・コンニャク・チクワなどの煮物とヨウカン(羊羹)、カマボコ(蒲鉾)などである。このような料理をシンカンモリ(正しくはシュンカンモリ、旬干盛り)と呼んだ。別の家のシンカンモリは、ヤツガシラの煮物、伊達巻(だてまき)・サツマイモのヨウカン・キントン・カマボコ・カズノコ・ハスの煮物などであった。そのほか、どの家でも野菜の煮物と手打ちうどんを出した。呼ばれた方は、干しうどん五把とか、手拭いにビスケットなどを持っていった。下石戸上では、戦争前ぐらいまでセチといって正月中に親戚が集まって飲み食いする日があった。セチの時には、煮しめや牛旁巻き・キントン・イモヨウカン・ハス・餅を入れたお汁粉、それにウドンが出た。ほかにアラレや海苔餅を干して揚げたカキモチなども出た。
石戸宿でば、一月十五日ごろまで日を決めて親戚が集まる。これをセチという。セチは親戚間だけで行い、近隣とはしない。セチ日になると、親戚中の主人がその家に集まる。うどんを打って、酒・肴を出して接待する。セチに呼ばれていく時には、菓子折に年賀の半紙を乗せて持っていく。セチの菓子折は貰ったものを持ち回ることが多かったので、最後は包装がくたくたになってしまった。自分が持っていった菓子折が、自分のところへ回ってくることもあった。
中丸では、オオバンにはオセチ料理で親戚や近所の人を呼んだ。呼ばれた人は半紙・手拭・砂糖を持って、正月の挨拶に来る。
このオオバンも、戦時中の食糧難を契機に、消滅したところが多い。

<< 前のページに戻る