北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第1節 正月行事

1 正月の準備

門松立て
門松を立てる家では、イチヤカザリ(一夜飾り)はいけないといって、遅くとも三十日までには門松を立てた。屋敷の入り口の両側に杭を打ち、これに松と竹を結わえつける。松は男松の三階松とか五階松がよいといった。門口だけでなく、屋敷稲荷や外便所、蔵などにも飾った。
しかし、門松はどこの家でも立てたわけではなかった。字単位で門松を立てない地区、あるいは家によって立てないのを家例としている家もある。また、神棚に松を飾るだけで、門口には立てない家もある。門松を立てるのが、必ずしも北本市域の一般的な風習だったとはいえないのである。
石戸宿では、門松を立てる家と立てない家とがある。門松を立てる家では、家の入り口の門と氏神様に立てる。門松は、竹に三階松をつけて飾ったが、戦後物資の不足した時代にやらなくなって以来すたれて、現在ではあまり見かけなくなった。立てない家は、鎌倉街道(奥州裏街道)沿いの一部の家で、昔忍城のお姫様が川越に輿入れする時にもここを通ったと伝えられ、新年の年始の挨拶に行き来する殿様たちの通り道であったといい、そんな時切っ先鋭い門松の竹が槍に変じることを恐れたお上側で門松を立てるのを禁じた事から、門松を立てない風習が定着したともいう。
下石戸上では、松に小さな竹を結わえて門松にする。そして、門松に注連縄をつけて飾る。一夜飾りはいけないといい、おそくとも三十日には飾った。門松を立てない家もあった。下石戸下でも、昔から門松は立てない家が多かった。
荒井の久保では、門松を立てる家と立てない家の両方があった。松は八重塚山(農事試験場跡地の所)に取りに行っていたが、近年門松を取りにいっていたヤマが開墾されて松がなくなったので、自然と立てなくなった。門松には三階松ぐらいの枝ぶりのいい男松がよい。松を取りに行くのは三十日で、一夜飾りはするなといって、取ってきたその日に飾る。門松には竹を添えた。竹は葉つきの、松と同じくらいの大きさのものを準備した。家の中のお飾りを供える神様にも、松を飾る。「松の内」といって、正月十四、五日ごろまでは門松を立てていた。家の中に飾った神様にも、松の内の間は飾っておいた。
荒井の風原では、門松を立てる家はほとんどなかった。家の中にお祭りする神様にも、松を飾る代わりに須賀神社から受けたへイソク(幣束)をあげた。門松を立てないいわれは聞いていない。
高尾では門松は立てない。昔、高尾の旧家に乞食が物乞いに来た。ちょうど正月だったので、門松でその乞食を殺してしまった。それから高尾では門松を立てないのだという。
北本宿では、農家は門松を立てなかった。二十五日にムラの氏神様である天神様の門松立てがあるが、この時各家にオシメ(幣束)を配った。オシメの数は、家によって決まっているが、門松代わりにこのオシメを家の神棚に上げた。十五日にアズキカユ(小豆粥)を供えて、オシメを下ろした。
中丸では、松は大神宮様の神棚に飾るだけである。農家は、門のところには飾らなかった。

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