北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第2節 春から夏の行事

5 五月の行事

五月の節供
昔から「男の子の節供」は新暦の五月五日で、ショウブノセック(菖蒲の節供)ともいった。男の子のいる家では、外にコイノボり(鯉幟)をたて、座敷に武者人形を飾って祝った。
コイノボリや武者人形は、初めての男児が誕生した時に、母親の実家や親戚などで祝って贈ってくれる。実家からウチノボリ(内幟)をくれることもあった。ウチノボリは座敷に飾るもので、台の上にノボリが三本立っている。ノボリバタやウチノボリには、上に父方、下に母方の家紋を入れた。

写真24 内幟と五月人形(高尾)

実際には、鯉幟や武者人形を贈るのは実家ぐらいで、仲人・叔父・伯母などになると、紙製の鯉幟や三色の吹き流しなどを贈ってすませることが多かった。
節供の二、三日前に、祝ってくれた人にお返しとして、カシワモチ(柏餅)を作って配った。柏の葉は買ってきた。ほかに草餅・白餅も作った。餡を入れる家や入れない家もある。このころになると、モチ草(蓬)も大きくなってしまっているので、餅に入れてもあまりおいしくなかったが、入れる家ではモチ草は薬になるといって作った。柏餅は初節供の時ぐらいで、そのほかにはあまり作らなかった。
クサヤネ(草屋根)の当時は、この日は屋根のひさしの三箇所にモチ草・菖蒲などを三本ずつ刺した。母屋だけでなく、氏神、農作業小屋、外便所にも剌した。
またこの日は、風呂に菖蒲を結わえて入れた菖蒲湯を立てて入る。菖蒲湯に入ったり、屋根に刺した菖蒲の雫を浴びると体によい、病気にならないという。
下石戸下や石戸宿では、蛇が入らないようにといって、この日ムギコガシ(麦焦がし)の粉を家の周りに撒いた。砂糖を入れて、食べたりもした。
嫁は五月の節供にも、節供づかいといって実家に泊まりにいった。



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