北本市史 民俗編 民俗編一覧

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第9章 年中行事

第2節 春から夏の行事

6 六、七月の行事

夏祭り

写真27 北本宿天神社の夏祭り(本宿)

夏祭りは七月十四日から七月十六日にかけて行うところが多い。いずれにしても、京都東山祇園町の八坂神社の祭りが、その源である。祇園会の初めは、清和天皇の貞観十一年(八六九)に疫病が大流行した際、これを鎮めるために行った祇園御霊会が始まりだといわれる。悪霊を威力によって退散させ、けがれを水に流すという思想から発したものである。八坂神社の祭神はスサノオノミコトであるが、仏教でいう牛頭天王にあたるというので、天王様ともいっている。
下石戸では、七月十四日がヨイマチ(宵待)、十五日が本祭り、十六日には神輿が村回りをして、十七日は桶川に回り、山送りで八雲神社に帰ってきた。祇園の神輿には神主、世話人、太鼓、鏡餅担ぎ二人がつく。この間、夜は大地主の家に泊まる。床の間に安置し、神主さんがついて寝る。村回りは、氏子全ての家を回った。十六日は上手、北原、原、下、谷足へ行く。家々では畳を上げた奥座敷に上げて、太鼓を叩いてもらい、その後庭で赤飯、饅頭、胡瓜、酒などでもてなした。
祭りの間、囃子棚を立ててお囃子連が共演し、婦人会が踊った。神輿と一緒に担がれて回った紅白の鏡餅は、最後に細かく分けて、お札と一緒に氏子に配る。
荒井では七月十四日から十六日までが祇園祭りである。七月十四日は宵待で、須賀神社で盆踊りをした。氏子は各戸一人ずつ出て、十五日の準備をする。昔は、十五日と十六日に神輿が氏子の家を一軒ずつ回って歩いたが、戦後は、荒久保、風原、馬場、上手、東原、南の各字の中央に御旅所を作り、そこに渡御するようになった。荒久保では、十年前に牛車を改造して山車にし、十四日の午後大人たちが面倒をみて子供に引かせるようになって、大人ばかりでなく子供も楽しめるようになった。
石戸宿では、七月十五日は牛頭天王の祇園祭で、獅子舞が地区内を清めて回る。
深井では七月十五日は休み日であった。この日は、ムラの外のよその天王様にお参りに行った。小麦饅頭を作った。

写真28 獅子の村回り(常光別所)

常光別所では七月十五、十六日の天王講は、昔は祇園祭りといって、獅子が村回りをした。七月十五日に桶川市加納の天神様の神主が来て拝む。神主を先頭に、獅了頭一頭と大太鼓、小太鼓、笛、それに赤と青の天狗の面を付けた子供が、白山様から出発する。獅子頭(赤獅子)を持つのは婿で、若い衆十人ぐらいが後ろの幕を持つ。太鼓などは大八車に乗せて引く。各家では、畳を上げて板の間にしてあり、獅子は口を開けて上がり、出る時は口を閉じて出る。この時子供の天狗が、「悪魔祓い」と大声を上げる。ムラの各家を回ったあと、六地蔵の所で大冋しをする。シャンシャンと拍手を打って祭りを終え、あと天王様に獅子頭を飾って、ヨイマチ(宵待)の酒盛りをする。
中丸では七月十五日の須賀神社の天王様の時にお供え配りをする。十四日に氏子はお供えを神社に奉納するが、神社ではお供えの下に名前を書いておき、上の餅を十五日に奉納した家に返す。現在では、お供えの代わりにお金で奉納する人が多くなって、全体の三分の二以上になっている。

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