北本市の埋蔵文化財
宮岡氷川神社前遺跡発掘調査報告
早川智明 吉川国男 石井幸雄
岩井住男 土肥 孝
4. 遺構
(2) 第二次調査地点の遺構
竪穴遺構この遺構はF7、F8で確認された溝を追求していくうち、F9において検出されたものである。溝と遺構の関連は第6図の通りである。プランは東西の壁がかろうじて残存しているのみで、東西径約2.20mを測る。また、南北径はF8、 F9区において、その上面の土層が攪乱し、溝によって荒らされており、 その境界を正確に把えることは出来なかったが、推定約3.20m程の規模を有すると考えられる。ピットは遺構プラン内で11本検出されている。(第1表参照)
第1表 ビット深度計 測値
遺構プラン内に存するもの | |||
P1 | 40cm | P7 | 38cm |
P2 | 25cm | P8 | 42cm |
P3 | 23cm | P9 | 47cm |
P4 | 30cm | P11 | 44cm |
P5 | 42cm | P12 | 46cm |
P6 | 37cm |
遺構プラン外に存するもの | |||
P12 65cm | P13 87cm |
また、遺構プラン外でも2本検出され、 全てローム層面からの掘り込みであるが、プラン内外におけるピットの相関性は不詳である。
溝はF9およびG9の境周辺で消滅し、 この遺構は、溝の下部の土層(ローム面)より検出されているため(溝の切り込み面はローム漸移層である)溝よりもさらに古い時期に構築された遺構と考えられるが、遺構内よりは炉も、焼土跡も残存せず、また、 遺構を構築した時期を決定するに足る遺物も検出されていないため、 その性格構築時期に関しては不詳であった。(土肥 孝)