北本市の埋蔵文化財

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北本市の遺跡と遺物



吉 川  国 男

はじめに
北本市は、埼玉県の中心部からやや東に寄った位置にある。経緯上は、東径139度31分、北緯36度0分55秒である。東京の中心部から北北西へ44キロメートル離れた所にある。市の周囲は、北から東にかけてが鴻巣市に、西が荒川を境に比企郡吉見村と川島村に、そして南が桶川市に接している。東西5.8キロメートル、南北5.3キロメートル、総面積は19.63平方キロメールある。市域の形は蝶が羽をひらいたような形をしており、その中央を高崎線と中山道および国道17号バイパスが南北に縦断して通っている。市街部は、市のほぼ中心にあって、市街部は高崎線北本駅の東側、中山道を主脈として形成されている。人口は約35,000人を数え、住宅都市として今後も発展するものと考えられる。
現在の北本市は、昭和34年、北本宿村の名称を改めて町制を施行して成立したものであるが、昭和18年以前には、石戸村と中丸村に分かれていた。石戸村は旧藩時代の下石戸上村、下石戸下村、石戸宿村、荒井村、高尾村の五カ村であり、中丸村は旧藩時代の山中村、花ノ木村、本宿村、 常光別所村、古市場村、宮内村、東間村、北中丸村、深井村の九カ村であり、両村はともに明治22年の町村制の実施により成立したものである。
地形的には、いわゆる北足立台地の北部に位して、一番高い所で標高31メートル、低い所で12メートルである。したがって、概ね平坦な地形を呈するが、南北に3区分することができる。一番西側は、荒川沿岸の台地で、荒川の支谷が樹枝状に深く長く侵入している地区である。その東側は、鴻巣市原馬室に水源がある江川が形成した低地帯である。一番東側は、市街部ののっている台地上および赤堀川に緩傾してゆく平坦地である。台地を被っている土は、洪積層が火山灰性のローム層が基層になり、その上を黒色腐植土がおおっている。
遺跡の分布状態を概観すると、上述のような地形別に区分されるような傾向にある。最も遺跡が密集しているのは、荒川沿岸の台地上で、ここには、無土器時代以来きれ目なく遺跡を包蔵している。そのつぎは、江川水系の遺跡群で、縄文時代以来の遺跡が確認されている。この下流桶川市分にも約30箇所の遺跡が存在している。もう一つの遺跡群は、赤堀川に向かって緩傾する花ノ木や常光別所に分布するもので、これらは概して遺物の散布も少なく今のところ顕著な性格を看取することはできない。
このような遺跡分布の在り方のほか、特に注目しておかなければならない事象としては、古墳が荒川沿岸の台地以外には発見されないことである。

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