北本のむかしといま Ⅱ 狩りから稲づくりへ
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Ⅱ狩りから稲づくりへ
1 赤土の文化
大宮台地にやってきた人々人類が初めて地球上に姿を現したのは、約三〇〇万年以上前のことである。その後、原人(約一五〇万年前)・旧人(約二〇万年前)と進化し、私たちが属している新人(クロマニョン人)が登場したのは約三万年前くらいとされている。日本に初めて人類が現れたのも、約三万年前の新人であると以前は考えられていた。近年になって相次いで三万年前より古い石器が発見され、日本人の起源はもっとさかのぼることが確実になったが、まだはっきりとは分からないことが多い。少なくとも、遺跡(過去に人間が暮らしたあと)が急激に増え始めるのは、三万年前ころからである。特に関東平野には、全国の約四分の一にあたる数の旧石器時代の遺跡が確認されている。埼玉県内では、大宮台地・武蔵野台地・下総(しもうさ)台地のほか、秩父盆地周辺の山地でも遺跡が確認されている。なかでも大宮台地や武蔵野台地は最密集地域で、市域はそこに属している。
大宮台地の旧石器時代の遺跡の分布をみると、ほとんどが谷津(やつ)を流れる小さな川の近くの台地上にある(図6)。これらの場所は、毎日の生活に必要な水が得やすく、狩り場としていい条件を備えている。彼らは、ここでナウマンゾウやオオツノシ力などの獲物(えもの)を追い求めながら、暮らしていた。ひとつの場所に長くとどまらず、数日から数週間で居住地を移動する生活を続けていたようだ。そのため、旧石器人の生活を物語る跡は、わずかである。発掘調査をしても、住居の跡はほとんどない。石器や石片が集中している箇所(「ユニツト」とか「ブロック」という)や、調理した跡といわれる礫群(れきぐん)、炭化物などは見つかるが、生活の跡というにはほど遠い。
図6 大宮台地における旧石器時代の遺跡分布

(『市史通史編Ⅰ』P172より引用)