北本の仏像

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Ⅱ 各地区の仏像

2 石戸地区(旧石戸領)

 真福寺

真福寺 下石戸上899 →(寺院詳細)

天台宗。川田谷泉福寺末、医王山光明院と号し、本尊は不動、他に元三(がんざん)大師像を掲げる。境内に薬師堂、釈迦堂があり、薬師堂の本尊は慈覚大師の作と伝える。(『風土記稿』)
地元では両大師と言った方が通りがいい。山号を医王山と称することから推すと、本来は境内薬師堂の別当寺であったとも想像される。両大師の呼称は、寺に所蔵される天台宗の高僧慈恵大師良源(912~85)及び慈眼大師天海(1536~1643)の両画像への信仰に由来するもので、うち慈恵大師画像は江戸中期の寛保二年(1742)に、時の輪王寺宮一品法親王から当寺に寄付されたものと伝える。『風土記稿』にいう元三大師像(慈恵大師の異名)とは、この画像のことを指すのであろう。
近年の整備を受けて、往時の景観を二新しており、本堂も鉄筋コンクリート造りのモダンな建物に変っている。


【木造元三大師及び両脇侍像】

真福寺 木造元三大師及び両脇侍像

〔品質〕寄木造、玉眼、彩色(後補)
〔法量〕 (大師像)像 高 38.5 膝張 34.0 膝奥 28.0
     (右脇侍)像 高 29.3 (左脇侍)像 高 28.0
真福寺本尊。『風土記稿』当時の本尊不動に代り、大正十一年十一月、当山第二十五世小島亮融の代に地元や鴻巣の信徒達の寄進を集めて新造されたものであることが、胎内銘から知られる。
仏師は鴻巣町仲丁在住の石川治三郎、その稚拙な人形めいた作風からすると、作者は人形師であったかも知れない。彩色は昭和50年の修理による。

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