北本の神社
本文
Ⅱ 旧石戸地区神社
【八雲神社】
- 1.所 在 地
- 北本市大字下石戸下字向郷2065番地
- 2.祭 神
- 素盞鳴尊
- 3.沿革
- 下石戸下の原、上手、台原、蔵引、久保新田、北原地区の氏神として、信仰があつい。無格社であるが、 他町村からの参詣人が多い。牛頭天三社とも称し、元文二年(1737)三月の創建で石戸村領主・修福寺の檀那等の奉造と伝えられている。その頃悪疫が流行したため、その疫神の鎮として勧請したので、霊験あらたかである。明治六年(1873)四月八日に八雲神社と改称した。
本殿は石戸小学校の奉安殿を戦後払い下げをうけ再建されてぃる。 - 4.祭事
- のぼりたて
- 1月1日に総代、世話人を中心に氏子全員が、朝早く集りのぼりをたてる。
- 春祈祷
- 4月21日 総代、世話人が集り春の祈祷祭を行なう。 大正の初めごろから「かぐら」が各字の家庭にまゎって奉納されたが、現在では、その神楽師がいないので絶えてしまった。
- 五月灯籠
- 6月14日午後から夜にかけての祭である。 五穀豊穣・無病息災の祈願をし、社殿にキュゥリを供える。境内には露店が立ちならび大いに賑わう。他地区に祭がないので賑やかである。
- 夏 祭
- 7月14・15日 総代・世話人が中心になり若衆も集まる。 御輿を出し、屋台ばゃしが各字から境内に出て奉納する。今は婦人会のおどりも奉納される。当日は氏子が集り祈願する。
- 秋 祭
- 10月14日 総代・世話人が集り秋の祈祷祭を行なう。灯籠を奉納する。
- 新穀感謝祭
- 11月23日 総代・世話人が集り、社に新穀を供えて感謝祭を行なう。
- 大祓い
- 12月下旬に行なう。
- 5.景観・配置
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- 拝 殿
- 入母屋造 鋼板葺
- 本 殿
- 旧石戸小奉安殿 切妻造 鋼板葺
- 鳥 居
- 神明型 アルミ製
- 手水石
- 石造 銘「奉納 文政十年丁(1828)六月吉日山田松五郎」
- 灯 籠
- 石造 右表銘「奉 八雲神社 桶川町横田石材店」
右裏銘「大正十四年七月十日」
左表銘「納 八雲神社」 - 力 石
- 銘「奉納 大正十四年八月 寄居町栗原明四十メ六百」
- 記念碑1
- 銘「八雲神社鳥居建立奉賛寄進御芳名」 裏銘「五十一年四月吉日」
- 記念碑2
- 銘「奉納 牛頭天王」
右銘「文政十丁玄十二月吉日」_
左銘「下石戸村 願主山田松五郎」 - 記念碑3
- 銘「奉納 石灯籠 享保五□□年五月」
- 記念碑4
- 銘「奉納 花崗岩敷石二十七枚」
右銘「大正四年十二月吉日」
左銘「当村大字下石戸下 願主柳瀬源之助」 - 記念碑5
- 銘「花商石敷石拾一枚 大正拾一年九月吉日 当村大字下石戸下 七拾七翁大澤麒三郎」
- 神社標識塔
- 銘「八雲神社」
右銘「疫神掃却守護祈攸」
左銘「奉納 昭和七年春 石戸村石見屋伊藤半次郎全高尾天沼清市」
- 6.神木・神蹟類
- 大杉があったが枯れたので現在はない。
- 7.摂 末 社
- 8.組織・運営
- 現在の宮司は吉田浪次氏であり、以前は小古瀬武廣氏であった。字久保新田・上手・原地区より3名の総代と各字毎の世話人若干名で運営にあたる。氏子崇敬者は下久保、台原、原、上手、勝林、北原等の地区の人々が氏子となり約1000戸である。
- 9.奉 納 物
- 社号額
- 銘「八雲神社 文学博士河埜省三謹書」92×188cm
- 社号額
- 銘「祇園社 東民敬書」58×39cm
- 神徳額
- 銘「奉納八雲神社 従七位勲六等 伊藤嘉―郎」 79×56cm
- 奉納額
- 銘「奉納 大願成就八雲神社 明治三十二年七月吉日 願人 鈴木丑之助 48×36.5cm
- 奉納額
- 銘「奉納 征露紀念 埼玉縣北足立郡石戸村大字下石戸凱旋軍士 明治三十九年四月」72×91cm
- 奉納額
- 銘「奉奏太々御神楽 奉獻原組伊勢太々講 昭和二十七年二月十一日」82×156cm
- 奉納額
- 銘「神額奉納者 昭和三十年十月十五日 発起人 下石戸 山本市太郎 荒井 矢部半次郎」82×93cm
- 奉納額
- 銘「太々御神楽奏上記念 奉獻下石戸榛名太々講 昭和三十年十一月二十一日」 85x170cm
- 奉納額
- 銘「幟奉納記念 祝小古瀬宮司殿 浄衣壼着 狩衣壼着 発起人 山本市太郎他八社総代―同 昭和三十八年癸卯年元旦」 45.5×51.5cm
- 奉納額
- 銘「八雲神社職新調記念 昭和三十八年癸卯年元旦」 84×170cm
- のぼり
- 右銘「豪徳生嘉穀昭和三十八年一月一日 武蔵国―宮氷川神社宮司東角井光白謹書」
左銘「瑞気生八雲 下石戸氏子中」 - 版 木
- 「□奉修牛頭天王護摩供室盛安榮所」
- 10.信仰・習俗・その他
- 〇「さしあつめ」が古くから行われていた。
近年になってやめられたが、字によっては行なわれている。「さしあつめ」は、氏子の家(「さし下」と呼ぶ)へ縄をまわしてその縄に金をつけて寄付金を集めることをいい、世話人が立合って金をまとめた。
○ 農家では「キュウリ」を栽培し、自由に食べられない風習がある。
○「キュウリ」を食べるときは包丁でまるごと切ることはいけない。神社の紋に見えるというので天王様に「バチ」があたるといわれている。そこで縦に切り、更に横に切ってから食べる風習がある。