北本の神社

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Ⅱ 旧石戸地区神社

【氷川神社】

1.所 在 地
北本市大字高尾字宮岡1077番地

2.祭 神
素盞鳴尊
大雷命 市杵嶋姫命 菅原道真公

3.沿革
高尾氷川社の創立は、『神社明細書』によれば、次のようにみられている。
「貞観十一年(869)十一月十八日創立にして、旧地頭牧野家の祈願所なり其の後、文明五年(1473)六月武蔵国一ノ宮氷川神社(男体)を分祭し、同郡石戸宿村、荒井村、下石戸上村、横見郡高尾新田の鎮守なり、境内に小池あり、其の中央に嶋有りて巌島を勧請し、其の辺に楓樹あり、故に楓岡と称す池水誠に透明なり、明治六年四月村社に列せられて、今は氏子村内のみなり。」
大正四年五月二十六日、大字高尾字宮岡無格社雷電社、同宮岡須賀社、同天神社、同巌島社、同中井無格社八幡社を合祀す。」とある。いづれにしろ、古くからの社であることはまちがいない。

4.祭事
  • 春 祭
  • 4月18日
  • 例 祭
  • 7月18日
  • 秋 祭
  • l0月18日
  • その他年中恒例祭儀
  • 6回(星祭り「火渡りの神事あり」12日)

5.景観・配置

  • 拝 殿
  • 入母屋造 瓦葺
  • 幣 殿
  • 切妻造 瓦葺
  • 外 宇
  • 切妻造 瓦葺
  • 本 殿
  • 流造 杉材板葺
  • 鳥 居
  • 四脚型 木造
  • 手水舎
  • 切妻造 瓦葺 棟木銘「大正六年二月新築 棟梁 大畑和助 五十六才 仝 大畑窄一 二十四才」
  • 手水石
  • 小松石製 銘「奉納 高尾 新井藤助 大正六年二月穀旦 槐州敬書」
  • 手水石
  • 石造 銘「文政四卒己年(1821)十二月吉」
  • 狛 犬
  • 石造 銘「石工師 鴻巣町 伊藤群鴻 大正八年七月」
  • 御神燈
  • 石造 二基
  • 百度石
  • 石造 銘「昭和拾六年二月拾八日建之 東京都神田ク神保町三の二番地の二 田島亮治」
  • 記念碑
  • 石造 銘「奉納 氷川神社御廣前 花崗敷石 百七拾五枚 仝階段石一本 当所 八十八□ 田島比右衛門 明治三十七年一月元旦」
6.神木・神蹟類
神本の切株あり、杉の大木(龍燈杉)で、元禄十四年(1701)十月二日風で根元から吹倒されると伝える。

7.摂 末 社
沿革参照
  • 琴平社
  • 祭神 金比羅大権現 切妻造 瓦葺
  • 三峯社
  • 祭神 伊装諾 伊装冉 切妻造 瓦葺
8.組織・運営
現在の宮司は吉田浪次氏である。氏子は180戸である。

9.奉 納 物
 
10.信仰・習俗・その他

御神木にまつわる伝承
昔の境内は可成広く、丈余の杉が生い茂って居て、真夏でさえ日の目を見ずと云われたそうだ。其の中、御手洗川にある三丈五尺の大杉が御神木と称せられて居て、龍燈昇天したと伝えられる。万治3年(1660)7月22日の夜には新井某が比の附近を通ると、龍燈の昇天する恐ろしいさまを見たので(これは何か異変でもあるのではないかと、すぐ当所別当所に知らせると、時の住職であつた英真法印も驚いて共に出て見ると、疑なくそれであるので、二人は奇異な事実に異様な眼を見張ったと云う。この御神本は元禄14年(1701)10月2日の大風で根元から吹倒されてしまった。氏子の人たちは非常に惜しんで、其の跡を掘上げて島とし、宮居を建てた。巌島社がそれである。その御神体は、宝暦6年(1756)9月、江戸神田新銀町中島屋久四郎と云われる方が、自分の宅内に弘法大師作と云われる弁財天の尊像を祀って置くと、一夜其の弁財天が夢枕に立って「是より北に当って楓ヶ岡と云う景地あり、其の地に移せよ」との言葉に、夢醒めてから
  染は今稿のはでの高尾山
  もみぢが岡の錦なりけり
と云う和歌を思い出して、各地を訪ね、この高尾村に来て、巌島社に奉安されたと云う。又、其の時、石段と石橋をも奉納して
  幾千世の秋をふるともくちせじな
  もみぢが岡に渡す岩橋
と詠じたとの事である。後、池畔に御夢想の浴室を設け、入浴垢離を許した。
明治40年頃から、養蚕守護神として参拝者が少くない。

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