雑木林のあるまち 社会
3.災害と土木工事
河川(かせん)改修の行われていなかったころには、市の東西を流れる河川は台風や豪雨(ごうう)のたびに氾濫(はんらん)し、家や、田を流した。近年では家を流されることはなくなっているが、被害(ひがい)は絶えることがない。
桜の名所として春には花見客で賑(にぎわ)う城ケ谷堤(つつみ)も、当時は桜が1本もない小さい堤であった。八重塚(やえづか)の谷(現在の北本自然観察公園予定地)の奥から湧(わ)き出す泉の水は、谷津(やつ)の水田をうるおしたあと、この門樋(もんぴ)から荒川へと流れ出ていた。
元荒川の水害 (明治43年か)
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洪水Ⅰ (昭和41年)
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洪水Ⅱ (昭和41年)
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同 (部分)
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城が谷門樋の完成 石戸宿 (明治45年か)
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