雑木林のあるまち 教育

社会1 >> 雑木林のあるまち >> 教育 >>

教育
庶民の教育は、江戸時代の寺子屋や私塾から明治時代の公立学校教育へと移り変わってきたことは周知のとおりである。ここでは写真の残っている明治末からのものをおおむね年代順に紹介している。明治5年の学制頒布(はんぷ)により、北本市内でも寺院などを校舎として宮内学校・高尾学校をはじめとする複数の初等教育機関ができた。校舎の移転・校名変更・統合などを繰り返し、現在の中丸小学校の地にその前身である「中山学校」(明治25年中丸尋常(じんじょう)小学校と改称)の校舎が完成したのは明治20年、石戸小学校の地に「石戸尋常小学校」が新築開校したのは明治41年3月である。
また、学校教育以外にも農繁期の託児所や、女性なら必ずできなければならなかった針仕事を教えてくれた裁縫所もここで取り上げた。



<< 前のページに戻る