雑木林のあるまち 教育

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1.尋常小学校から小学校へ

中丸尋常高等小学校校舎 宮内 (昭和40年ころ) 

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中丸小学校には、明治26年以来の校務日誌が非常に良い保存状態で残っていた。また、石戸小学校にも、明治44年以降の「職員会議録」が残っている。これらを丹念に読んでいくと、学校生活のみならず地域のできごとや、社会情勢など様々なことが見えてくる。
運動会・遠足・展覧会・学芸会などは明治時代にすでに始まっており、とくに運動会は石戸・中丸両校の間で相互に見学、参加が行われているばかりでなく、川田谷や常光などの学校とも交流があったことがわかる。学校医による身体検査も、明治時代から行われていた。高等科の修学旅行は、鎌倉方面と日光方面へ毎年交互に行っていた。
鴻巣勝願寺のお十夜では児童の欠席が多く、午後の授業を打ち切ったとか、相撲(すもう)興行のため休校など、今から考えるとのどかな明治、大正のようすがうかがえる記録である。


中丸尋常高等小学校高等科女子卒業生 宮内 (明治41年) 

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老朽化(ろうきゅうか)の著(いちじる)しい明治の建物にかわって大正B寺代に建てられた校舎で、築後50年ほどたっている。


石戸尋常高等小学校高等科生徒 荒井 (明治41年度) 

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石戸尋常高等小学校校舎 荒井 (明治41年) 

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