雑木林のあるまち 産業

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産業
北本の産業を語るならば、農業もしくは農作物を素材にしたものにつきてしまう。純農村の北本は主に、米・麦・サツマイモなどの穀類、いも類を栽培(さいばい)していた。江戸時代、農業以外に副業を持っていたのは、名主やよほど豊かな農家に限られており、職種も酒造りや醤油(しょうゆ)造りが多かった。現在、北本に残っている職人もごく限られているが、その大部分が冬の農閑余業として成立したものである。その代表格は高尾桐(きり)タンスである。
明治期になると、製茶と養蚕という二大輸出品の生産高が多くなり、畑作も多様化する傾向(けいこう)にあった。しかし、いずれも第二次世界大戦をはさんで急速に衰退(すいたい)し、現在ではごくわずかの農家が行われているだけである。
昭和期になると、石戸村ではトマト栽培を手広く行うようになった。トマトクリーム販売(はんばい)組合を設置し、トマト工場を造り、トマトを加工し、あるいは生のままで出荷した。石戸のトマトはかなり有名になったが、これも第二次大戦のため長続きはしなかった。トマ卜のほかにも北足立球根組合が中心となって球根の出荷(しゅっか)を行った。これが現在の花卉(かき)栽培のもとといえるかもしれない。
戦後の農業、特に畑作物の多様化はめざましく、屋外には梅・プラム・ブドウなどの果樹園や露地物の野菜が作られている。またハウスを使った屋内では、花卉をはじめ野菜など、季節を問わずに作物が作られており、都市近郊(きんこう)農産物として出荷されている。

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