雑木林のあるまち 道

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3.松山道
この道は、戦国時代に松山城と岩槻城(いわつきじょう)を直接に結んでいた道である。そのほぼ中間に立地していたのが石戸城であり、戦略上重要な位置を占(し)めていたものと思われる。事実、市域の街道沿いにはたくさんの史跡(しせき)が現在も残されている。

おしゃもじ様 二ツ家 (平成3年)

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二ツ家の「おしゃもじ様」は、病気を治してくれる神仏である。奉納(ほうのう)されている「しゃもじ」を借りてきてご飯をもって食べる。治ったら新しいおしゃもじを返す。
また「足の病」を治してくれる神仏でもあり、昔はワラジを奉納してお願いしたものと思われるが、今日ではサンダル、スリッパなども奉納されている。

東松山・桶川線 下石戸下 (平成4年)

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プラムの里付近 下石戸上 (平成3年)

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お経塚付近 石戸 (平成3年)

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