北本のむかしばなし 伝説や昔話

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せおわれてきたお地蔵様じぞうさま

鎌倉時代かまくらじだいのことです。伊豆いず(静岡県しずおかけん)に、伊東刑部いとうぎょうぶという人が住んでいました。ある日、刑部は新しいゆたかな土地をもとめ、東をめざして旅立つ決心をしました。そして、刑部は、伊東家を代々見守ってきてくれたお地蔵様じぞうさまをせおい、旅立ったのでした。
何日か歩き、武蔵国むさしのくにはら(下石戸上・下)という所にやってきました。そして、原の修福寺しゅうふくじにある地蔵堂じぞうどうの前を通りすぎようとしたときです。刑部の足は、その先ヘ一歩も進まなくなってしまいました。ふしぎに思った刑部は、「長い旅のつかれかのう。背中せなかのお地蔵様も、休みたがっているようじゃ………それにしても、ここはよいところじゃ。きれいな水が流れる川をはさんでなだらかなおかがつづく。本当に美しいけしきじゃ。」とひとりごとを言いました。刑部はこの村でひと休みすることにし、せおってきたお地蔵様にも、地蔵堂の中で休んでもらうことにしました。
原に足を止めた刑部は、日がたつにしたがいますますここが気に入ってしまいました。もう東をさして旅をすることはやめ、ここで新しい生活を始めようと思うようになりました。そんな気持ちになったとき、この地に来て足が急に重くなった理由がようやくわかってきました。お地蔵様も、このようなよい土地に住みたいとのぞんでいたのです。もはや、刑部ぎょうぶには東をさして旅をつづける理由がなくなってしまいました。
はらに住みついてからの刑部は、毎日、休むことなくはたらきました。きれいな水の流れる谷あいの地は田にし、両がわのゆるやかなおかは畑としました。人家もまばらだった原に、田畑をもとめ他の村からうつってくる人もふえてきました。こうして村びとがふえ、生き生きとした新しい村がつくられていきました。
やがて、刑部は年おいて村びとにおしまれつつなくなりました。村びとは、いつのころからか、刑部が開いたこの谷を、刑部へのそんけいと感謝かんしゃの気持ちをこめて刑部谷ぎょうぶだにとよぶようになりました。
今では、修福寺しゅうふくじはなくなってしまいまたが、わずかにのこっている地蔵堂じぞうどうへ行ってみると、刑部が伊豆いずからせおってきたという、おだやかな顔をしたお地蔵様じぞうさまを見ることができます。

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