浅間様とオタキアゲ
むかしの北本には、田んぼがほとんどありませんでした。畑の多い農村でしたので、たくさんの麦が作られていました。ふだんの食事は米と麦をまぜた麦飯で、米より麦が多く入っていることはめずらしくありませんでした。
そのような時代には、夏の七夕やお盆のような行事のとき、お客様をむかえたときなど大切な日には、自分の家でとれた小麦でうどんやまんじゅうを作ったものです。小麦をこなにしてうどんなどを作るには、たいへんな手間と時間がひつようでしたので、ごちそうだったのです。なかでも、 その年にとれたばかりの新しい小麦で作ったうどんやまんじゅうは、とくべつな意味をもった食べ物でした。「新小麦で作ったうどんやまんじゅうを食べる日」があります。それは七月一日です。
七月一日は浅間様のお祭りです。東間の浅間様と荒井のたけのこ浅間には前の日の夕方からおまいりの人がやってきます。東間の浅間様には、今でも 大勢の人がおまいりにきます。浅間様は富士山の神様をまつっておりますので、人の手できずいた山の上にあります。 一歳のお誕生日前の子どもが浅間様へおまいりすることを、初山まいりといいます。近くの桶川、鴻巣、吉見、菖蒲などからも子どもやまごが元気に大きくなりますようにといのる人びとがたくさんおまいりに来ます。初山まいりの子どもは、ひたいに朱印をおしてもらい、おふだとうちわをいただいて帰ります。この浅間様のお祭りの日には、新小麦でうどんとまんじゅうを作るのがならわしとなっています。
七月一日(むかしは六月一日)には、もうひとつ新小麦を使う行事があります。オタキアゲとかケツアプリとかいわれるものです。七月一日の朝、それぞれの家のケイドで小麦のワラや麦をだっこくしたあとのバカヌカをもやして、その火にあたるというものです。こうするとかぜをひかないとか、夏やせしないとかいい、やはり新小麦のうどんやまんじゅうを食べる日とされています。
オタキアゲにはつぎのようなお話がつたわっています。
むかし、
岩殿山(東松山市岩殿の
正法寺)のふもとの
弁天様の池に、オロチ(
大蛇)がいて、
各地をあらし回り、人びとをこまらせていました。それを聞いた
俵 藤太秀鄉という強い
武士が、オロチたいじをしてくれることになりました。ところか、
真夏にもかかわらず大雪がふり、人びとは小麦ワラをもやして俵藤太の体をあたため、ついにオロチをたいじしてもらったという ことです。
新しくとれたばかりの米や麦には、とくべつな力があるとむかしからしんじられていました。それを
神様にそなえ、自分も食べるとそのとくべつのカが自分にもそなわり、病気に負けない強い体になることができると考えていたのです。だから人びとは、この新小麦で作るうどんやまんじゅうにとくベつな気持ちをもったのです。
この時期は
梅雨時であり、
養蚕や田植えなどの農作業も重なるときです。
浅間様やオタキアゲまでに新小麦をまにあわせるのは、なかなかたいへんなことでした。
注
(1)ケイド………広い道から
各家までをむすぶ細い道。
(2)岩殿山………東松山市の
岩殿山にある
真言宗の寺、
岩殿観音ともいう。
坂東札所十番。