北本のむかしばなし くらしをつたえる話

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とうかんや

北本は、麦作りのさかんな土地です。麦がたくさんとれるようにいのる行事や、しゅうかくをいわう行事がいろいろあります。
そのひとつ、十一月十日のとうかんや(十日夜)は、子どもたちにとって楽しみな行事でした。その日、子どもたちは友だちどうしで組になり、イモガラをナワでぐるぐるまいたワラデッポウを作ります。「トウカンヤ トウカンヤ イネコのボタモチなまでもいい」(石戸宿)ととなえながら、それで村の家々のまわりの地面をたたいて回ります。その声が聞こえるとどこの家でも子どもたちにおかしをあげます。ワラデッポウを打つのは、その音でモグラがにげて麦畑をあらさないからだとか、ダイコンが大きくなるように打つのだとかいいます。「麦はとうかんやまでにたねをまけ」といい、この日にはボタモチを作ります。ところが北本には、「麦をまいてはいけない日」があります。 こよみのいぬの日です。それにはこんな話がつたわっています。

むかし、弘法大師こうぼうだいしとう(中国)に行き、はじめて麦というものを見たときのことです。悪いこととは知りながら、ひょいとひとつかみ麦のたねをぬすみ取り、持っていた竹のつえに入れました。そのとき、とつぜん犬がほえだし、かい主が家から出てきました。「もし旅のかた、何か悪いことをなさったのではございませんか。」「いや、何もしておりません。」「何も悪いことをなさっていないあなたをうたがい、申しわけございません。このとおりです、おゆるしください。」と言うが早いか、かい主は、犬をぼうで打ちころしてしまいました。このときぬすんだ麦のたねが、日本の麦のはじまりだといわれ、犬の供養くようのため、「いぬの日」には麦をまかないのだといいます。とうかんやのボタモチは、犬の供養のためだともいいます。

(1)弘法大師………平安時代はじめのおぼうさんで、真言宗しんごんしゅうを開いた空海くうかいのおくりな(なくなってからおくられた名前)である。

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