雑木林のあるまち 川
荒川
「埼玉の母なる川」といわれる荒川は、江戸時代(えどじだい)初期の瀬替(せが)えにより、北本の西を流れる旧和田吉野川(わだよしのがわ)に流路を変え、現在に至っている。荒川は、かつて部分的には種々の名称(めいしょう)で呼ばれていたが、統一的な名称に固まったのは明治以降と考えられる。
「道と水を制する者が天下を制す」と言われるように、河川の支配は江戸幕府にとっても重要な施策(しさく)の一つであった。
かつて荒川は子どもたちが泳いだり、砂あそびや魚とりなどをしたかっこうの遊び場であった。
「道と水を制する者が天下を制す」と言われるように、河川の支配は江戸幕府にとっても重要な施策(しさく)の一つであった。
かつて荒川は子どもたちが泳いだり、砂あそびや魚とりなどをしたかっこうの遊び場であった。
川遊び 石戸宿 (昭和29年)
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