雑木林のあるまち あとがき等

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北本の写真史
写真そのものが北本市内に入って来るのは、明治時代も末のことと思われる。しかし、写真を撮るのは学校の卒業式などの特別の時に限られており、私的な写真を撮ることができたのは、かなり豊かな家に限られていた。またこのころは、北本付近には写真館は無く、東京や熊谷、浦和の写真館に行ったり、写真技師を呼び寄せたりしていた。写真が自由に一般庶民の手に入るようになるには、昭和時代を待たなくてはならなかった。写真を撮るときには、鴻巣市の勝願寺の門前にあった池沢写真館などに行ったり、写真技師を呼び寄せたりしたこともあった。
写真機が北本市内に入って来るのは、大正時代に入ってからと思われるが、これも写真と同様に豊かな家に限られていた。当時は、カメラはもちろんフィルムすら手に入れることは非常に難しく、わざわざ離れた写真館まで行かなければならなかった。一般の家庭にカメラが普及するには、昭和30年代後半を待たなけれぱならない。
フィルムもカメラも大きな変化を遂げた。ガラス乾板の写真が湿板のフィルムになり、大きなジャバラのカメラが小さくコンパクトになった。
アルバムの色あせた古い写真は、人生の節目節目に間違い無くそこにあった風景やそこにいた人々の姿をとどめている。

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