雑木林のあるまち 道
1.(伝)鎌倉街道
源頼朝によって建久3年(1192)、鎌倉幕府が開かれると、そこを中心に武蔵野(むさしの)の原野の中に幾筋(いくすじ)もの道が開かれた。県内には鎌倉街道と呼ばれる道が四筋通っている。その一筋が北本市の西の荒川沿いを走っていたと伝える。大宮台地の西の縁(へり)に沿って石戸宿を皮切りに北上し、県道東松山桶川線(松山道)を横切り、北向き地蔵、須賀神社(すがじんじゃ)・氷川神社(ひかわじんじゃ)を経て鉄砲宿(てっぽうじゅく)をぬけ、鴻巣へ至る道筋がそれである。
しかし、この他にも幾筋もの支道があったが、現在では開発によってその道筋を追うことが難しくなり、今では〜幻(まぼろし)の古道〜とも称(しょう)されている。
榎 石戸宿 (平成元年)
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しかし、この他にも幾筋もの支道があったが、現在では開発によってその道筋を追うことが難しくなり、今では〜幻(まぼろし)の古道〜とも称(しょう)されている。
【北本さんぽでの紹介】
北本さんぽ第18回鎌倉街道(1)