北本市史 通史編 近世

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北本市年表
古代(詳細はクリックしてご覧ください)
年号西暦北本地域のできごと日本のできごと
旧石器(先土器)時代紀元前三万年・石器時代の造物が検出されている遺跡として、八重塚遺跡、諏訪山南遺跡、提灯木山遺跡、宮岡氷川神社前遺跡、宮岡遺跡Ⅰがある。・日本列島に人類が住み始める
二万年・ビュルム氷期の最盛期
一万二〇〇〇・火山灰の飛来による関東ローム層の堆積がほぼ終わる
縄文時代(草創期)一万年・台地上に森林が形成され始め、縄文時代がはじまる。
・撚糸文系土器が断片的に出土
七〇〇〇・縄文人の漂泊的な生活が営まれ、土器・弓矢がつくられはじめる。・この頃から徐々に温暖となる(縄文海進)
縄文時代(早期)「宮岡Ⅱ遺跡」「石戸城跡」「榎戸Ⅰ遺跡」・犬の飼育、弓矢の使用
六〇〇〇・下石戸上に隣接する桶川市川田谷の谷津に貝塚ができる。「谷津貝塚」
・荒川低地や江川の谷に、奥東京湾の海進がある。
・繊維土器を伴う小集落が、台地肩部にできはじめる。「宮岡Ⅱ遺跡」 
・「城中Ⅳ遺跡」「石戸城跡」「市場Ⅱ遺跡」「榎戸Ⅰ遺跡」など定住 性を強めた集落ができる。
(前期)四五〇〇・荒川低地や江川の谷から、奥東京湾の入江が後退する。・東京湾が景も奥まで入る(奥東 京湾) 
・信濃川流域に分布圏を持つ籠畑式土器が、市内に流通する。「宮岡遺跡Ⅱ」
・諸磯式土器を伴う集落ができる。「宮岡Ⅰ遺跡」「石戸城跡」「氷川 神社北遺跡」「東谷足遺跡Ⅲ」「宮岡遺跡Ⅱ」
(中期)三〇〇〇・このころ荒川は現在の荒川低地を流れていた。・縄文海進の海岸線は後退し、春日部市あたりとなる 
・集落の規模が大きくなるとともに、 集落数がふえ、安定した生活が 営まれる。
・加曾利E式土器を伴う集落が営まれる。「上手遺跡」「提灯木山遺跡」「氷川神社北遺跡」・狩猟・漁撈の技術が向上する 
(後期)二〇〇〇・称名寺式土器が出土する集落ができる。「台原Ⅲ遺跡」「市場Ⅰ遺跡」・この頃より気候が冷涼化、食料 資源の欠乏 
・堀之内式土器を伴う大集落ができる。「榎戸Ⅲ遺跡」
・大宮台地が安行文化圏の中心的な地域となる。「宮岡氷川神社前遺跡」
(晩期)一〇〇〇・遺跡の激減・呪術的風潮強まる 
六〇〇・この頃、高尾の宮岡に集落ができる。精巧な土製耳飾がつくられる。「宮岡氷川神社前遺跡」
四〇〇・この頃の宮岡氷川神社前遺跡に東北地方の系の大洞式土器耳飾も見られる。「宮岡氷川神社前遺跡」
三〇〇・この頃、縄文終末期の集落が大宮台地上には極めて少なくなる。
一〇〇・この頃、関東地方に弥生文化が波及し、水稲耕作がはじまる。・北九州に弥生文化が定着 
紀元後五〇・この頃、宮の台式土器を伴う集落ができる。「石戸城跡」
五七・奴国王、後漢に遣使
一五〇・この頃、赤堀川流域にも農耕集落が営まれる。「上手遺跡」
二三九・邪馬台国女王卑弥呼、魏の皇帝に遣使 
二五〇・前野町式期の集落が営まれる。「榎戸Ⅱ遺跡」「石戸城跡」東海地方の欠山式土器が八重塚遺跡でみられる。
古墳時代三〇〇・この頃、大宮台地の樹枝状谷の沿岸に大集落が出現し、荒川沿岸の台地上にも農耕集落ができる。「上手遺跡」「石戸城跡」「諏訪山北遺跡」「榎戸Ⅱ遺跡」・この頃、畿内に古墳が出現 
中世(詳細はクリックしてご覧ください)
年号西暦北本地域のできごと日本のできごと
成務・この頃、兄多毛比命が无邪志国造となる。「先代旧事本紀」
三九一・倭の軍隊、高句麗と戦う
・この頃、畿内に巨大古墳出現
四一三・倭王讃、宋に遣使
仁徳四七一・この年、稲荷山古墳出土金錯銘鉄剣に一一五文字の銘文が刻まれる。「国宝・武蔵埼玉稲荷山古墳出土品 金錯名鉄剣」
四七八・この頃カマドを備えた住居が現れる。「八重塚遺跡」・倭王武、宋に上表分提出、この頃より畿内古墳の規模縮小化
・群衆墳の出現
・この頃、荒川沿岸の台地上に古墳がつくられはじめ、市域では荒井の北袋に前方後円墳ができる。「北袋古墳群Ⅰ・Ⅱ」「阿弥陀堂遺跡」「中井古墳群」
五二七・筑紫国造磐井の反乱
安閑 元五三四・この年、武蔵国の笠原直使主と同族小杵が武蔵国造職を争い、使主が勝利して国造職就任にあたり、横渟・橘花・多氷・倉樔の四か所の屯倉を朝廷に献ずる。「日本書紀」
五三八・仏教の伝来
五九三・聖徳太子、摂政となる。
六〇四・憲法十七条の制定
六〇七・小野妹子ら随に派遣
六三〇・遣唐使始まる
舒明 五六三三・この年、物部連兄麻呂が武蔵国造となる。「聖徳太子伝暦」
大化 元六四五・大化改新
大化 二六四六・大化改新の詔
六五〇~七〇〇・この頃、高尾の中井や荒井の八重塚に古墳群が築造される。「八重塚古墳群」「諏訪山南遺跡」
大宝 元七〇一・大宝律令の制定、国郡里を設置
大宝 三七〇三・従五位下引田朝臣祖父が武蔵守となる。(武蔵守初見)「続日本紀」
和銅 三七一〇・平城京に遷都
養老 七七二三・三世一身の法施行
天平 一二七四〇・国郡里制から国郡郷制になる
宝亀 二七七一10 武蔵国が、東山道より編入される。「続日本紀」
延暦 七七八八・最澄、比叡山延暦寺を創建
延暦 一三七九四・最澄、比叡山延暦寺を創建平安京に遷都
大安 三八五九1 武蔵国足立郡の氷川神に、従五位上の神階が授けられる。「日本三代実録」
貞観 三八六一11 群盗の横行により、武蔵国の各郡毎に検非違使一人が置かれる。「日本三代実録」
・この頃、北本市現存最古の文字が須恵器に記される。「阿弥陀堂遺跡」
昌泰 二八九九9 僦馬の党による被害を防ぐため、相模国足柄・上野国碓氷に関が置かれ、公験が勘過される。「類聚三代格」
延喜 五九〇七12 藤原時平、延喜式を完成
延喜 一九九一九5 武蔵国司が、前権介源仁の乱行を上申する。「扶桑略記」
戦国時代(詳細はクリックしてご覧ください)
年号西暦北本地域のできごと日本のできごと
承平 五九三五2 平将門、伯父国香を殺す
承平 八九三八2 この月、武蔵権守興世王、介源経基が、足立郡司武蔵武芝と争い武芝の舎宅を押領する。「将門記」
天慶 二九三九11 平将門、常陸国府を襲撃 
天慶 三九四〇2 平貞盛・藤原秀郷、将門を討つ
長元 元一〇二八・平忠常の乱(~一〇三一)
永承 六一〇五一・前九年の役(~一〇六二)
永保 三一〇八三・源義家、陸奥守兼鎮守府将軍として赴任・後三年の役
保元 元一一五六7 後白河天皇は、平清盛・源義朝らに命じて白河殿を襲撃させる。7 保元の乱
 武蔵武士の豊島・中条・成田・箱田・河勾・別府・奈良・玉井・斉藤・横山・平山・庄・猪俣・岡部・金子・山口・仙波氏らが源義朝に従って戦う。「兵範記・保元物語」
平治 元一一五九12 この月、平治の乱において足立右馬充遠元ら武蔵武士が、悪源太義平に従い戦う。「平治物語」12 平治の乱
仁安 二一一六七・平清盛太政大臣となる
治承 四一一八〇6 安達盛長は、源頼朝の命を奉じて累代の御家人を招集する。「吾妻鏡」4 源頼政、平氏打倒を計画
5 源頼政、敗死
10 源頼朝は下総国より武蔵国に入る。足立遠元・葛西清重・豊島清元らがこれを迎える。「吾妻鏡・北条九代記」10 源頼朝、鎌倉へ入る
10 源頼朝は足立遠元に足立郡郷の領掌を認める。「吾妻鏡」
12 源頼朝は、大倉郷の新亭に移る。安達盛長・畠山重忠らが供奉する。「吾妻鏡」
12 源頼朝は武蔵国の住人の本知行地主職を安堵する。「吾妻鏡」
寿永 二一一八三2 源範頼は野木宮合戦に小山朝政の救援に駆け付ける。「吾妻鏡」2 志田義広、頼朝に叛す
元暦 元一一八四1 源範頼は頼朝の命により、弟義経とともに源義仲を滅す。この時、大串重親は宇治川の徒立ちの先陣として名を上げる。「吾妻鏡」10 源頼朝、公文所・問注所を設置する
6 源頼朝は武蔵国の知行国主となり、この日平賀義信は武蔵守、源範頼は三河守に任じられる「吾妻鏡」
10 足立遠元らは、公文所の吉書始の寄人となる。「吾妻鏡」
文治 元一一八五1 平家追討使源範頼は、周防国より豊後国に渡海する。「吾妻鏡」
文治 三一一八七10 吉見頼綱は畠山重忠の所領伊勢国沼田の御厨を宛行われる「吾妻鏡」
文治 四一一八八3 源頼朝は鶴岡八幡宮の大法会にのぞむ。隋兵の中に安達盛長・足立遠元らの名がみえる「吾妻鏡」
文治 五一一八九6 源頼朝は鶴岡八幡宮の塔供養にのぞむ。安達盛長・足立遠元らがこれに従う「吾妻鏡」9 頼朝、奥州藤原氏を滅ぼす
7 源範頼は伊勢国沼田御厨の地頭、吉見頼綱の不法を停止させる。「吾妻鏡」
7 源頼朝が、奥州征伐に出発する。安達盛長・足立遠元・三尾谷十郎らがこれに従う。「吾妻鏡」
建久 元一一九〇11 源頼朝が入洛する。仙波次郎・三尾谷十郎・足立遠元らがこれに従う「吾妻鏡」11 頼朝、上洛する
12 足立遠元ら十人が、勲功の賞として任官する。「吾妻鏡」
建久 三一一九二7 源頼朝、征夷大将軍となる
建久 四一一九三8 源範頼は伊豆国に流され後に殺される。「吾妻鏡・保暦間記」
建久 六一一九五3 源頼朝の東大寺供養参列に、安達盛長・足立遠元・下河辺四郎らが随行する。「吾妻鏡」
建久 一〇一一九九4 頼朝家の訴訟の親裁が停止され、北条時政・安達盛長・足立遠元らの合議制がはじまる。「吾妻鏡」1 源頼朝没。嫡子頼家跡を継ぐ
正治 元
10 足立遠元・安達盛長・同景盛以下宿老六十六人が鶴岡の廻廊に参集し、梶原景時弾劾文に連署する。「吾妻鏡・北条九代記」
正治 二一二〇〇10 梶原景時失脚
建仁 三一二〇三9 比企能員追討軍の中に金窪行親の名がみえる。また笠原十郎親景は能員の婿であったため討たれる。「吾妻鏡」9 源実朝、征夷大将軍となる
10 北条時政、執権となる
元久 二一二〇五6 畠山忠重、二俣川で討たれる
建保 元一二一三5 和田義盛の乱
建保 七一二一九1 源実朝殺される
嘉禄 二一二二六4 河越重員を武蔵国留守所総検校職とする。「吾妻鏡」
貞永 元一二三二6 幕府、御成敗式目を定める
貞永 二一二三三1 石戸宿の東光寺にこの紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
暦仁 元一二三八3 鎌倉大仏堂の建立始まる
寛元 二一二四四4 藤原頼嗣、将軍となる
寛元 三一二四五8 石戸左衛門尉・足立直元らが鎌倉八幡宮放生会の馬場儀で十列を勤める。「吾妻鏡」
寛元 四一二四六3 石戸宿の東光寺に、この紀年銘の阿弥陀板碑が二基ある。「北本の板碑」
宝治 元一二四七12 足立右衛門尉跡・足立左馬頭入道・足立義景らは、三か月間の京都大番役に定められる。「吾妻鏡」6 宝治合戦、三浦氏滅亡
建長 三一二五一8 深井の寿命院に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
10 石戸宿の東光寺にこの紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
建長 四一二五二4 宗尊親王、征夷大将軍となる
建長 五一二五三11 鎌倉建長寺創建
文応 元一二六〇6 石戸宿の東光寺に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
7 石戸宿の東光寺に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
文永 九一二七二・常光別所の無量寿院に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
文永 一〇一二七三12 常光別所の無量寿院に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
文永 一一一二七四10 文永の役
建治 元一二七五2 深井の薬師堂に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
建治 二一二七六3 深井の寿命院に、この紀年銘の阿弥陀板碑がある。「北本の板碑」
8 高尾の天沼家に、この紀年銘の板碑がある。「北本の板碑」
弘安 四一二八一5 弘安の役
弘安 八一二八五11 安達奉盛の乱(霜月騒動)がおこり、安達奉盛・足立直元らが敗死する。「熊谷直之氏所蔵 梵綱戒本疏目珠鈔巻三十裏文書・北条九代記」
永仁 五一二九七3 幕府、徳政を行う
徳治 二一三〇七5 北条貞時は、円覚寺において行う父時宗の大斎結審を定め、その中に足立らの名がみえる。「円覚寺文書」
元弘 三一三三三5 足利尊氏は吉見円忠に伊勢の凶徒退治を命ずる。「足利殿御教書并吉見殿施行案」2 後醍醐天皇、隠岐を脱出
正慶 二5 足利尊氏、六波羅を攻め陥す
新田義貞、鎌倉を陥す
11 足利直義、成良親王を伴い鎌倉に赴く
建武 元一三三四・建武の中興
建武 二(ころ)一三三五・足利尊氏・同直義の所領目録が作成され、尊氏領として足立郡が見える。「足利尊氏・同直義所領目録、比志島文書」7 中先代の乱
8 足利尊氏、時行を破り鎌倉を回復、朝廷に反す。
建武 三一三三六11 足利尊氏、幕府を開き、建武式目を制定する。
暦応 元一三三八8 足利尊氏、征夷大将軍となる。
貞和 五一三四九9 足利尊氏、次子基氏を関東公方とする
観応 元一三五〇・観応の擾乱
観応 三一三五二9 足利尊氏は、勲功の章として春日行元に足立郡桶皮郷内菅谷村を給与する。「新記」
正平 七
文和 元一三五二10 花ノ木の光蔵寺に、この紀年銘の釈迦板碑がある。「北本の板碑」2 足利義直、鎌倉で没す
正平 七
延文 六一三六一9 市場祭文が作成され、これに遊馬郷指扇村・片柳市・かうのすの市・井草市などがみえる。「武州文書」
正平一六
卓治 六一三六七5 足利氏満、関東公方となる
康暦 二一三八〇5 小山義政の乱
永徳 元一三八一12 小山義政、足利氏満に降伏
永徳 二一三八二3 小山義政再び足利氏満に叛く
4 小山義政、敗れて自殺する
応永 五一三九八12 足利満兼、関東公方となる
応永一五一四〇八12 沙弥妙伏らは、足立郡石戸郷下法師谷村氷河大明神に懸仏を寄進する。「折原婆羅門社懸仏名」
応永二二一四一五7 市場の祭文が書写され、これに遊馬軍指扇市・片柳市・かうのすの市・井草市などが見える。「武州文書」
応永二三一四一六10 上杉禅秀の乱
応永二四一四一七8 法宣院日英は、末寺講演職などの支配を千代寿と寅菊に任せる。それに河田谷などの名がみえる。「法宣院文書」
応永二八一四二一9 足利持氏は、甲斐の武田信長反逆の風聞について吉見範直に糺明させる。「喜連川判艦」
応永三〇一四二三8 足利持氏は、常陸の小栗満重を討伐する。持氏方に吉見範直の名がみえる。「鎌倉大草紙」
正長 元一四二八6 関東府は、黄梅院の訴えにより、大井五郎左衛門尉の足立郡河田郷領家職の押領を停止させ、武蔵守護代大石憲重に子細を調査させる。「黄梅院文書」9 生長の土一揆
8 関東府は、武蔵守護代大石憲重に命じて、足利郡河田郷領家職を黄梅院雑掌に沙汰させる。「黄梅院文書」
永亭一〇一四三八9 永亭の乱
永亭一一一四三九2 足利持氏、鎌倉永安寺で自殺
永亭一二一四四〇3 結城氏朝、足利持氏遺子春王丸・安王丸を擁し挙兵する(結城合戦)
4 結城城陥ち、結城氏朝父子自殺
5 春王丸・安王丸、美濃国垂井で斬られる
嘉吉 元一四四一6 嘉吉の乱(足利義教横死)
8 徳政一揆
文安 四一四四七・持氏遺児万寿王丸(成氏)関東公方となり、鎌倉府再興する
享徳 三一四五四12 足利成氏、上杉憲忠を誅殺
享徳四閏 一四五五4 古賀公方足利成氏は豊島太郎に武州に出陣する吉見三郎に同道して軍忠に励むよう命ずる。「足利成氏書状」4 幕府、成氏追討を命ず(享徳の乱)
康正 元
康正 二一四五六9 土一揆、徳政を要求
長禄 元一四五七4 足利成氏は、黄梅院の所領を安堵する。それに河田村・殖竹郷の名がみえる。「黄梅院文書」4 太田道灌、江戸城を築く
4 太田道真が岩付城を、同資長が江戸城を築いたという。「鎌倉大草紙」
寛正 六一四六五2 上杉房顕、武蔵五十子陣に没
文正 元一四六六6 幕府、上杉房定の子顕定を関東管領とする
応仁 元一四六七5 応仁の乱始まる
応仁 二一四六八3 河関田畑の清水三郎二郎は、武蔵国にある旦那職を鳥居御坊に売り渡す。それに「ふかい」の名がみえる。「米良文書」
文明 五一四七三・高尾村氷川社は、大宮氷川社の男体神を勧請するという。「新記」
文明年中一四六九~一四八七・この頃、深井村寿命院の開山円俊が寂す。「新記」
文明一四一四八二11 享徳の乱終わる
文明一八一四八六7 上杉定正、太田道灌を殺す
長享 元一四八七冬 長享の乱
延徳 三一四九一・北条早雲、伊豆を攻略する
文亀 二一五〇二3 鎌倉長谷寺の大仏開眼
永生 元一五〇四7 朝倉定景、一向一揆を破る
永生 二一五〇五・高尾村は、太田美濃守資家が支配したという。「新記」
永生 七一五一〇1 足利義尹、足利義澄を討つ
永生 九一五一二8 幕府、撰銭令を発す
永生一三一五一六7 北条早雲、三浦義同父子を相模新井城に滅ぼす
大永 四一五二四4 北条家は、相模国当麻宿に制札を出し、伝馬の法を定める。それに石戸の名がみえる。「関山文書」1 北条氏綱、上杉朝興を破り、江戸城を陥す。
大永 五一五二五2 北条氏綱は、太田資頼の守る岩付城を攻め落とす。「上杉文書・本土寺過去帳」2 北条氏綱、太田資頼の岩付城を陥す。
3 北条氏綱は、長尾為景に書を送り、岩付城や菖蒲城の攻略などを伝える。「上杉文書」
享禄 四一五三一10 加賀一向一揆峰起
天文 二一五三三4 深井村寿命院を中興した深井六郎次郎景孝が卒す。「新記」
天文一二一五四三8 ポルトガル船、種子島に漂着し、鉄砲が伝わる
天文一四一五四五10 河越合戦
天文一七一五四八12 長尾景虎(上杉謙信)、家督を嗣ぎ、越後守護代となる
天文一八一五四九7 ザビエル、鹿児島に上陸(キリスト教の伝来)
天文二〇一五五一9 北条家は、市宿新田(現鴻巣市)小池長門守に田畑開発を命ずる。「武州文書」7 北条氏康、上杉憲政を上野平井口に攻める
天文二一一五五二1 上杉憲政、北条氏康に逐われ、越後の長尾景虎を頼る
天文二二一五五三4 石戸新左衛門・宮寺雅楽助・とばり次郎三郎らは実報院に旦那願文を出す。「米良文書」8 長尾景虎、武田晴信と川中島に戦う。
5 聖護院は、足立郡大行院に上足立郡伊勢熊野先達衆分旦那職などを安堵する。「武州文書」
弘治 二一五五六3 太田資正は、足立郡大行院に上足立三十三郷の伊勢・熊野先達職と旦那職などを安堵する。「武州文書」
永禄 二一五五九3 太田資正は、大島大炊助と深井氏に郷内の開発を命ずる。「大島文書」2 織田信長入洛
永禄 三一五六〇11 長尾景虎は、関東出陣にあたり、市田氏に足立郡の地を安堵する。それに広田・河田谷一跡・小田助三郎らの名がみえる。「武家事記」5 桶狭間の戦い
8 長尾景虎、関東へ出陣
永禄 四一五六一4 景虎、関東管領に就任。上杉政虎(のち輝虎、謙信)と改名
6 上杉謙信、越後へ帰国
9 川中島の合戦
永禄 五一五六二3 上杉輝虎と太田資正は、松山城の後詰めに向かう。「北条紀」1 織田信長、松平元康(家康)と盟約
7 太田資正は、道祖土図書助に足立郡石戸の駒場の地などを安堵する。「高柳文書」
永禄 六一五六三2 北条氏康が松山城を奪う。この時、上杉輝虎が石戸に陣を敷く。「北条氏康書状写 上杉輝虎書状」2 北条氏康、松山城を陥す。
4 上杉輝虎は、蘆名盛氏に騎西城攻略と石戸着陣などの状勢を伝える。「伊藤文書」
永禄 七一五六四3 大島大膳亮久家は、この年の戦功により小田原北条越前守資為より感状を賜わるという。(この頃、宮内村に居住)「新記」また、河目資好は、大島大膳亮に刷村が給与されることを伝える。「武州文書」7 太田資正、氏康に逐われる。
7 北条氏康は、岩付城を攻め落とす。「富岡文書・関八州古戦録・北条紀」
9 北条氏康・氏政父子は石戸・河越に出陣する。「白川文書」
9 太田資矩は、結城義親に北条氏康の動向などを伝える。それに石戸・川越の名がみえる。「武州文書」
10 太田氏資は、比企郡井草郷の百姓に荒野の開発を命ずる。「武州文書」
永禄 八一五六五2 太田氏資は、大行院に上足立三十三郷の伊勢・熊野先達の旦那職を安堵する。「武州文書」
4 河目資好は、大島大炊助に足立郡宮内村を給与する。「武州文書」
永禄 九一五六六1 謙信、常陸小田氏を攻撃・結城氏・宇都宮氏・小田氏が北条氏政に人質を差し出す
永禄 一〇一五六七8 太田氏資は、上総三舟山の合戦で戦死する。「武州文書・里見軍記・関八州古戦録」
永禄 一一一五六八2 北条家は、小窪六右衛門尉の訴えにより、その所領の地を安堵し、小窪は山角定勝の同心として忠勤すべきことを裁許する。それに石戸の名がみえる。「武州文書」9 織田信長、足利義昭を奉じて入京
永禄 一二一五六九6 越相同盟成立
6 武田信玄、関東を窺う
元亀 元一五七〇6 北条氏政は、内山弥右衛門尉に替地として足立郡馬室窪在家分などを与える。「内山文書」3 武田信玄、上野に侵入
6 信長、家康が浅井長政・朝倉義景を近江姉川に破る
元亀 二一五七一10 北条氏康没す
元亀 三一五七二6 玉縄城主北条氏繁は、大行院に上足立三十三郷の伊勢熊野先達職分などのことにつき、太田氏資の証文にもとづき安堵する。「武州文書」5 信長、伊勢長島の一揆を討つ
12 三方原の戦い
天正 元一五七三7 室町幕府滅亡する
天正 二一五七四2 謙信、上野へ出陣
9 信長、伊勢長島の一揆を平定
天正 三一五七五10 謙信、上野へ出陣
天正 四一五七六5 長篠合戦、武田勝頼大敗
11 信長、内大臣となる
天正 五一五七七3 太田助次郎は、鴻巣別所村百姓中に不作の荒野の開発を命ずる「武州文書」
天正 六一五七八3 謙信没す
天正 七一五七九7 聖護院門跡は、足立郡大行院に上足立三十三郷の伊勢熊野先達職と旦那職などを安堵する「武州文書」
8 北条家は、大行院に上足立三十三余郷の伊勢熊野先達職と旦那職などを安堵する「武州文書」
天正 八一五八〇1 羽柴秀吉、播磨三木城を攻略
天正 一〇一五八二6 不動院頼長が、足立郡大行院配下の山伏は同院の法度に従うべきことを伝える。「武州文書」3 信長、武田氏を滅ぼす
6 明智光秀、信長を殺す
天正 一一一五八三4 賊ヶ嶽の戦い
9 秀吉、大阪城を築く
天正 一二一五八四4 小牧・長久手の戦い
12 秀吉、徳川家康と講話する
天正 一三一五八五7 秀吉、関白となる
天正 一四一五八六1 秀吉、太政大臣となり豊臣姓を賜わる
天正 一五一五八七7 北条氏直、相模・武蔵に総動員を発す
天正 一六一五八八8 太田氏房は、深井対馬守と同藤右衛門に、北条氏政の証文に任せ私領内の竹林切り出しの禁制を出す。「武州文書」7 秀吉、刀狩令を発す
天正 一七一五八九3 太田氏房は、深井藤右衛門と佐枝若狭らに、糟壁の諸役不入・大普請役などを命ずる。「関根文書」11 秀吉、北条氏直に最後の上洛督促
8 太田氏房は、深井対馬守と同藤右衛門尉に山林の領有を安堵する「武州文書」
天正 一八一五九〇5 岩付城は豊臣秀吉の派遣した浅野長吉・木村一らの軍勢により陥落する。次いで六月五日秀吉は筑紫長門に岩付・忍城などの攻略の状況を伝える。「豊臣秀吉朱印状」3 秀吉、京都を出陣
4 秀吉、小田原を包囲
5~7 岩付・鉢型・忍城等落城
6 浅野長吉は、足立郡鴻巣郷大島大炊助ら五人に在所帰住を許可する。「武州文書」7 小田原落城
8 徳川家康、江戸に入る
9 伊奈熊蔵文書に「石戸八幡原さうしき」の名がみえる。「新記」
・この年、東間村・上下深井村・上下宮内村・本宿村・山中村・古市場村・上下中丸村・花野木村・別所村が天領となる・「新記」
・この年、石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村・高尾村・荒井村・荒井村枝郷北袋村を旗本牧野讃岐守康成が知行する。「新記」
・この年、牧野康成は、武蔵国足立郡石戸にて、采地五千石を賜わる。後、徳川家康が忍・川越等に放鷹のときしばしば石戸で休息し、その際御膳等を献上するという。「寛政家譜」
・ この頃、里正幸左衛門は、下中丸村太田社に祖先の岩槻太田氏の霊を祭る。「新記」
天正 一九一五九一10 この月、石戸宿村で検地が行われる。「旧県史」3 川俣で会の川を締切り、利根川の木流を東へ流す
11 この月、寿命院は、徳川家康より足立郡鴻巣郷内十石の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
大正年中一五七三~一五九二・ 上州白井の城主長尾左衛門尉景春の男小四郎景忠の子に、六郎次郎景孝というものがある。深井村に出生し、在名をとり深井と称したという。「新記」
・ この頃、深井村寿命院は、院号を持明院から寿命院に改める。「新記」
文禄 元一五九二3 文禄の役
慶長 三一五九八8 豊臣秀吉没す
慶長 四一五九九3 足立郡石戸領主牧野讃岐守康成(五十二歳)が没し、その子信成が跡を継ぐ。「寛政家譜」
近世(詳細はクリックしてご覧ください)

年号西暦北本地域のできごと日本のできごと
慶長 五一六〇〇9 関ヶ原の戦い
慶長 六一六〇一1 東海道に宿駅設置
慶長 七一六〇二・ この年、徳川氏は石戸領を検地する。「旧県史」・中山道、奥州道に宿駅設置
慶長 八一六〇三2 家康、征夷大将軍となる
慶長 九一六〇四・諸街道に一里塚を設置
慶長 一〇一六〇五・家康、将軍職を秀忠に譲る
慶長 一一 一六〇六1 家康、武蔵・相模で放鷹する
慶長 一七 一六一二⑩ 家康が鴻巣に泊り、狩りをする。二十四日、鴻巣から川越に狩りに出かけ、二十五日江戸城に帰る。「実記」
・ この年、常光村の伝えによれば、上中丸村を伊奈半十郎が検地するという。「新記」
慶長 一八 一六一三11 家康が、鴻巣へ鷹狩りに来る。(四日に帰城)「実記第一巻」6 公家諸法度制定
11 伊奈半十郎は、この年の宮内村孫右衛門分の年貢として米六十六石一斗二升九合と永十四貫五百七十二文を割当てる。「大島隆三家文書」
慶長 一九 一六一四10 大阪冬の陣
慶長 年中 一五九六~一六一五・この頃、宮内村は上宮内村・下宮内村と私唱する。また、本宿村に宿駅があったが、その後鴻巣に移すという。「新記」
・市城最古の年貢割付帳がある。「大島隆三家文書」
元和 元一六一五11 将軍秀忠が江戸城を出発し、鴻巣へ狩りに来る。(九日帰城)「実記」5 大阪夏の陣豊臣氏滅亡
元和 二一六一六4 徳川家康没す(七七)
元和 三一六一七4 家康を日光に改葬。秀忠、日光参詣
元和 六一六二〇7~8 この月、下石戸上村・久保新田で検地が行われる。「吉田眞士家文書」
8 この月、新井村が牛田杢右衛門他五名により検地される。「矢部洋蔵家文書」
元和 九一六二三6 新井村の畑方検地が行われる。「矢部洋蔵家文書」7 秀忠、将軍職を家光に譲る
寛永 元一六二四・上宮内村の一部を数原通玄が支配する。「新記」8 利根川洪水
寛永 三一六二六2 将軍家光が鴻巣辺で放鷹を行い、雁を四十五羽とる。十八日も鴻巣で雁百五十羽と兎をとる。二十四日帰城。「実記」・鷹の巣高札が掲げられる
寛永 四一六二七2 家光が鴻巣へ放鷹に来る。六日、御狩場より大御所に雁五羽を届ける。「実記」
寛永 五一六二八10 家光が鴻巣へ鷹狩りに来る。「実記」10 江戸から役五里四方の地が将軍家鷹場に指定される
寛永 六一六二九・この年、東間村が、会田七左衛門・成瀬権左衛門・宮内庄左衛門・海野権兵衛により、上下深井村・上下宮内村・山中村・古市場村・上中丸村・別所村が、伊奈半十郎により、花野木村が、会田七左衛門により、検地される。「新記」
・この年、関東郡代伊奈忠治は、荒川の流路を大里郡久下村(現熊谷市)より南下するように変える。「新県史」
・この頃、深井村は、鴻巣の内にあったという。「新記」
寛永 八一六三一7 本宿村の田・畑・屋敷が検地される。「岡野正家文書」
寛永 九一六三二7 旗本諸法度を制定
寛永 十一一六三四1 大名火消の制定める
寛永 十二一六三五6 外様大名の参勤交代始まる
寛永 十三一六三六10 島原の乱
寛永 十六一六三九7 鎖国が完成する
寛永 十七一六四〇・幕府、宗門改役を設置
寛永 十九一六四二6 寿命院は、鴻巣郡内に十石の朱印状を賜わる。「寿命院文書」5 譜代大名の参勤交代始まる
寛永 二〇一六四三3 田畑永代売買の禁止
寛永年中一六一四~一六四四・この頃、東間村は、鴻巣の内東新田と私唱し、宮内村は一村として独立する。「新記」宮内村を伊奈半十郎が支配する。「新記」下石戸の稲荷社小川八左衛門によって創建される。「旧県史」
生保 元一六四四3 牧野内匠頭信成は下総国関宿城を賜わり、加増されて一万七千石を領し、旧地石戸領五千石は嫡男親成に賜う。「寛政家譜」12 諸国郷村高帳・国絵図の作成を命ず
生保 二一六四五2 伊奈忠治は、関東野山の論地を検す。「寛政家譜」
8 伊奈忠勝が、代官となる。「寛政家譜」
生保 四一六四七11 牧野内匠頭信成が隠居料として、石戸の地五千石を賜わる。「寛政家譜」・鷹場制札が掲げられる
生保年中一六四四~一六四八・生保絵図に、石戸町・上石戸村の名がみえ、その付近に御茶屋跡がみえる。(昔、神君が鴻巣御殿に滞留し、当所で放鷹したとき休息したところと伝える)「新記」
・また、深井村は一村として独立し、本宿村は本鴻巣と唱えて宮崎備前守が支配する。「新記」
・この頃、山中村・古市場村・花野木村を伊奈半十郎が支配する。「新記」
慶安 三一六五〇4 牧野内匠頭が卒す。年七十三歳。性誉哲心知見院と号す。鴻巣勝願寺に葬る。「寛政家譜」
6 牧野佐渡守親成は、父信成の石戸の采地を分けて、弟八大夫尹成に二千石、太郎左衛門永成、兵部成房におのおのの千五百石を分け与える。「寛政家譜」
慶安 四一六五一・この頃、別所村の無量寿院は、すでに六坊の内三坊を失う。「新記」・家光没し、家綱将軍となる
慶安 五一六五二2 新井村の田方が検地される。「矢部洋蔵家文書」
慶安 六一六五二7 東間村勝林寺の開山日誉が寂す。(日誉は、伊奈熊蔵の弟で剃髪して勝願寺の住職となり、のち当所に隠棲し、この寺を開いたという。)「新記」
承応 二一六五三6 伊奈忠治が死す。年六十二歳、法名源周。鴻巣勝願寺に葬る。「寛政家譜」
万治 二一六五九10 あらい村の新畠が改められる。「矢部洋蔵家文書」
万治 四一六六一⑧ この月、本宿村多聞寺が創建される。「新記」
万治年中一六五八~一六六一・この頃、焼失していた別所村の無量寿院阿弥陀堂が再建される。「新記」
寛文 元一六六一⑧ 徳川綱吉、舘林に入封
寛文 二一六六二10 この月、新井新田の畑方、屋敷地が検地される。「矢部洋蔵家文書」
寛文 三一六六三4 徳川家綱、日光社参
寛文 五一六六五7 寿命院は、鴻巣郷の内十石ならびに院内竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
寛文 七一六六七3 新井村の屋敷・畑が検地される。「市所蔵文書」
3 この月、下石戸村上分で検地が行われる。「吉田文子家文書」
11 下石戸村の畑方が検地される。「岡野正家文書」
寛文 八一六六八・この年、石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村が牧野某により検地される。「新記」 本宿村が検地される。「新記」
延宝 元一六七三5 分地制限令を発布
延宝 二一六七四・この年、別所村無量寿院を法印伝誉が中興する。「郡村̪誌」
延宝 三一六七五4 新井村で宗門改めが行われる。「矢部洋蔵家文書」
・この年の荒井村の田方名寄帳が残されている。「矢部洋蔵家文書」
延宝 八一六八〇4 徳川家綱、五代将軍となる
天和 二一六八二・この年、切支丹宗門取締りの定(高札)が出される。「矢部洋蔵家文書」
5 牧野貞成は、父の采地足立郡の内において五百石を分かち賜わり小普請となる。「寛政家譜」
貞享 元一六八四8 牧野尹成が死す。年七十三歳、法名士参。鴻巣勝願寺に葬る。「寛政家譜」
貞享 二一六八五6 寿命院は、鴻巣郷の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
11 下石戸上村の石高二百九十九石七斗五升五合六勺のうち、十八石三升八合七勺三才が、新井村へ御足石として渡される。「吉田眞士家文書」
貞享 三一六八六7 この月の年貢納入に「綿」の名がみえる。「矢部洋蔵家文書」
貞享 四一六八七4 この月、郷中百姓所持の馬の毛色、馬数が改められる。「矢部洋蔵家文書」1 生類憐み令が出される
貞享 五一六八八5 この年の下宮内村の年貢皆済目録がある。「大島隆三家文書」11 柳沢吉保、側用人となる
元禄 三一六九〇2 この年の関東八か国御城米運賃改帳に高尾川岸の名がある。「佐原氏 伊能康之助氏蔵」
2 この月、高尾川岸の御城米運賃三分一厘を四厘増しに改める。「新県史第十五巻」
8 新井村水入畑の検地が行われる。「矢部洋蔵家文書」
元禄 四一六九一・この年、別所村の一部と山中村を横田彦五郎が、古市場村を日下部権太夫が支配する。「新記」
元禄 六一六九三・この年、別所村の一部を阿部甚五郎が支配する。「新記」
元禄 七一六九四2 この月、桶川町助郷として、下中丸村・上中丸村・山中村・本宿村・下石戸村・石戸宿の名がみえる。「新県史」・武蔵国幕府領の総検地始まる
5 新井村百姓所持の馬の毛色・馬齢・馬数が改められる。「矢部洋蔵家文書」・東海道・中山道の各宿に助郷村を指定
元禄 八一六九五11 この月、下石戸村と新井村・高尾村との秣場争論裁許の条が井戸志摩守他七名より示される。「矢部洋蔵家文書」
元禄 九一六九六10 鷹場の職制廃止
元禄一〇一六九七6 この月、武州足立郡下石戸上村・下石戸下村・荒井村・高尾村・小松原村秣場論所裁許の条が奉行所より示される。「横田長次家文書」
・この年、花野木村を前田半右衛門・岡善太郎が支配する。「新記」
元禄一一一六九八12 牧野貞成が死す。年四十歳、法名安棲。鴻巣勝願寺に葬る。「寛政家譜」7 柳沢吉保、老中の上となる
・この年、上宮内村を内藤佐兵衛が、上中丸村の一部を日下部伊織が支配する。「新記」
元禄一三一七〇〇8 この月、新井村の水下田方が検地される。「矢部洋蔵家文書」
12 この月、下石戸上村の村高二百八十八石八斗八升のうち七石一斗六升三合一勺九才を野山原方高に入れる。「吉田眞士家文書」
元禄一四一七〇一11 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」
元禄一五一七〇二・この頃、深井村は上・下深井村と呼ばれる。「新記」12 赤穂浪士、吉良義央を討つ
・この年、創設の足立坂東三十三か所観音霊場に、中丸の観音院(十一番)古市場の常楽寺(十二番)深井の殿林山寿命院(十三番)高尾山妙音寺(十六番)、荒井の千手山雙徳寺(十七番)、が組込まれる。「足立坂東霊場記・埼玉業書」
元禄一六一七〇三・この年、石戸城跡を牧野某が検地する。「新記」11 関東大地震
元禄年中一六八八~一七〇四・この頃郷帳に、下石戸上村・下石戸下村・石戸町の名がみえる。「新記」
・この頃までに、下石戸村を分割して下石戸上村・下石戸下村とされ、東間新田が東間村と呼ばれる。「新記」
・この頃、深井村を日下部新次郎・日下部松三郎が、下中丸村を日下部伊織・多門某が支配する。「新記」
宝永 元一七〇四・この頃、上宮内村の一部を数原通玄が支配する。「郡村誌」7 関東洪水
宝永 六一七〇九8 この月、新井村に猪・鹿・狼が多く出て作物を荒し誠に困惑、よって鉄砲二挺お貸し下さるよう願い出る。「矢部洋蔵家文書」・綱吉没す。家宣将軍となる
・生類憐みの令廃止
宝永 七一七一〇・この年、金銀改鋳し乾字金を鋳る。そのため古銀と新銀との引替率が示される。「矢部洋蔵家文書」
正徳 元一七一一5 この月、キリシタン宗門御制禁の高札が出される。「矢部洋蔵家文書」
9 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」
正徳 三一七一三10 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」・家宣死去、家継将軍となる
享保 元一七一六12 この年下半期下石戸上村で江戸往来に要した舟賃の割当俵がある。「吉田眞士家文書」・家継死去、吉宗将軍となる
8 鷹場復活する
享保 三一七一八7 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
享保 四一七一九1 この月、飼犬を堅くしばり置き、主なし犬と紛らわしきことなきよう仰せ渡さる。「矢部洋蔵家文書」11 相対済しの令発布される
11 この年の高尾河岸問屋御城米請負証文がある。「吉見町 新井康夫家文書」
11 この年の本宿村年貢割付状がある。「岡野正家文書」
享保 六一七二一・この年、下宮内村を小林新次郎が支配する。「新記」
3 朝鮮通信使来朝に伴う国役金として下石戸上村より金二両一分と銭一貫六文徴収する。「吉田眞士家文書」
享保 七一七二二6 利根川洪水
享保 九一七二四9 この月、桶川宿助郷(高一万一千四百三十三石)四十か村のうちに、上中丸村・下中丸村・山中村・元宿村・下石戸村・石戸宿村が指名される。「吉田眞士家文書」
9 荒井村の田方が検地される。「矢部洋蔵家文書」
享保一〇一七二五9 この月、荒井村で切支丹宗門改めが行われる。「矢部洋蔵家文書」
享保一一一七二六9 この月、石戸宿放光寺が社寺御除を願い出る。「矢部洋蔵家文書」・日光道助郷村の組替え
享保一二一七二七・この年、荒井村・高尾村・石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村五か村入会秣場が検地される。「矢部洋蔵家文書」
享保一三一七二八4 徳川吉宗、日光社参
・見沼代用水が開削される
享保一四一七二九8 関東に菜種栽培を奨励
享保一六一七三一2 この月、下石戸村分元宿の田方検地が行われる。「岡野正家文書」
・この年、牧野大内蔵の領地(下石戸下村)を分割して本宿村持添となる。(明治三年旧に復する)「郡村誌」
享保一七一七三二12 糠田村より悪水を流す計画が願いだされ荒井高尾など下流の村々から差止めの訴訟を起こす。「藤井真家文書」
享保二〇一七三五・この年、荒井村水入畑方が検地される。「矢部洋蔵家文書」
天文 元一七三六9 荒井村水入場早稲が検地される。「矢部洋蔵家文書」
天文 三一七三八3 この月、下石戸下村の八雲社勧請する。「郡村誌」
寛保 元一七四一4 この月、下石戸上村で山反別改めが行われる。「吉田眞士家文書」
12 この月、下石戸村庄蔵が横見郡上砂村の又市から酒秣譲證文を受ける。「吉田眞士家文書」
寛保 二一七四二8 関東大洪水
寛保 三一七四三8 荒井村堤内外早穂場水入田方が検地される。「矢部洋蔵家文書」
9 この月、下石戸上村で人別改めが行われる。「吉田眞士家文書」
12 この月、下石戸上村で流作場の検地が行われる。「吉田眞士家文書」
延享 二一七四五・この年、下石戸上村の原反別改めが行われる。「吉田眞士家文書」・吉宗、将軍職を家重に譲る
延享 四一七四七8 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
寛延 二一七四九9 この月、荒井村・九町野他で畑方改めが行われる。「市所蔵文書」
宝暦 七一七五七この月、荒井村谷津田が検地される。「矢部洋蔵家文書」
宝暦 八一七五八・田沼意次、大名に列す
宝暦 九一七五九・この頃、桶川宿定助郷四十四か村のうちに、市域では、石戸宿(百六十九)・下石戸上(八百二十一)・下石戸下(二百九十)・元宿(百五十八)・山中(五十八)上中丸(二百五十)下中丸(二百三十二)の七か村が属す。「桶川市史」
宝暦一〇一七六〇・家重、将軍職を家治に譲る
宝暦一一一七六一10 この月、荒井村稲方が検見される。「矢部洋蔵家文書」
宝暦一二一七六二8 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
明和 元一七六四⑫ この月、増助郷御免につき急廻状が出される。「桶川市史」⑫ 明和の伝馬騒動おこる
明和 二一七六五1 この月、桶川宿増助郷につき村柄御糺取止めの触書が出され、荒井村枝郷北袋付も請印する。「新県史」
・この年、増助郷の件につき、道中奉行からの触書ならびに桶川宿間屋からの添書が届き、荒井村枝郷北袋村も請印する。「新県史」
・この年、川田谷村甚左衛門家襲撃事件についての吟味をうける。(含、石戸宿・下石戸上・下石戸下・上中丸・下中丸・山中・本宿各村)「新県史」
明和 四一七六七6 この月、荒井村で人別改めが行われる。「矢部洋蔵家文書」7 田沼意次、側用人となる
明和 五一七六八・この頃、東間村を松平大和守が支配する。「新記」
・この年、荒井村の観音堂に「酒づくり」「群馬」「雉」の大絵馬が奉納される。「北本の文化財」
安永 元一七七二1 田沼意次、老中となる
安永 二一七七二4 冷気続き、諸国に疫病流行
安永 五一七七六4 徳川家治日光社参
天明 三一七八三9 この月、浅間山噴火による荒井村の砂降畑方が検地される。「矢部洋蔵家文書」7 浅間山大噴火
12 この月、元宿村持高分郷として名主他、諸年貢、助郷、物也等をよく守るよう申し渡される。「岡野正家文書」・関東・東北大飢饉
天明 四一七八四・この頃、下石戸下村は、元宿村へ百石村分けする。「岡野正家文書」
天明 五一七八五1 本宿村の原割付けが行われる。「岡野正家文書」
天明 六一七八六8 田沼意次失脚
天明 七一七八七4 徳川家斉、将軍となる
5 飢饉、米価騰貴、江戸・大阪などで打ちこわしがおこる
6 松平定信、老中首座となる
天明 八一七八八9 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
天明 九一七八九・この年、桶川宿御伝馬玉帳によると各村の助郷高は、石戸宿村百六十九石、下石戸上村二百石、下石戸下村二百九十石、元宿村百五十八石、山中村五十二石、上中丸村二百五十石、下中丸村二百三十四石とある。「吉田眞士家文書」
寛政 二一七九〇5 寛政異学の禁
寛政 四一七九二7 この月の下石戸上村の御条目五人組請印帳がのこされている。「吉田眞士家文書」・関東郡代伊奈氏改易となる
・この年、寿命院殿堂坊舎が焼失する。「寿命院文書」
寛政 六一七九四・この年、石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村の新田が浅岡彦四郎により検地される。「新記」
寛政 七一七九五2 この月、下石戸下村の名主、組頭、百姓代は小金原の鹿狩勢子人足三十二人割当のところ、二十四人に減じてほしい旨を地頭所に願い出る。「岡野正家文書」
寛政 九一七九七3 この月、寿命院再建のため二十四か村にわたり勘化が行われる。「寿命院文書」
寛政 十二一八〇〇10 この頃、桶川宿明細帳の桶川宿定助郷四十四か村の中に、市域の石戸宿・下石戸上・下石戸下・元宿・山中・上中丸・下中丸の各村の名が見える。「桶川市史」
・この年、二朱判の鋳造が再開され、金と差別なく通用する旨廻状が出される。「矢部洋蔵家文書」
享和 二一八〇二8 備前堤への勝手上置の差止め願が、足立郡鴻巣領二十四か村(含、上宮内・下宮内・古市場・上深井・下深井・山中・別所・花野木の各村)から出される。「桶川市史」
文化 元一八〇四9 楽宮様下向につき、助郷村々から議定連印帳を差出される。「桶川市史」6 関東取締役出役を設置
文化 二一八〇五・幕府、農民の武芸稽古の停止を命ず
文化 三一八〇六・中山道筋に本宿村字本宿下茶屋立場と、東間村字三軒茶屋立場の名がみえる。「中山道分間延絵図」
文化 四一八〇七・花ノ木村・上中丸村が蝦夷地御用につき、日光道中杉戸宿の当分助郷を命ぜられる。「桶川市史」
・別所村無量寿院の本堂及び阿弥陀堂が焼失する。(その後再建)「新記」
文化 六一八〇九12 この月の下石戸上村の名寄書抜帳が、残されている。「吉田眞士家文書」
文化 七一八一〇6 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」
文化 八一八一一6 桶川宿割増賃銭が不渡りにつき、下石戸下村・元宿村・山中村・下中丸村等三十四か村は、下石戸上村等八か村役人を相手どり訴え出たが、解決し示談が整う。「吉田眞士家文書」
文化 九一八一二3 下石戸上村で博奕をしないことを村中で申し合わせる。「吉田眞士家文書」12 寛政重修諸家譜なる
文化 一〇一八一三3 この月の下石戸上村の荒地畑書上帳がのこされている。「吉田眞士家文書」
12 下石戸上村の吉五郎が秩父の皆谷村で博奕をする。「吉田眞士家文書」
文化 一二一八一五5 下石戸上村醤油醸造業専助は売掛金回収不能につき訴える。「吉田眞士家文書」
文化 一三一八一六6 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」 
文化 一五一八一八・この年、荒井村に井岷江が「いろいろのことおもい出す桜かな」の芭蕉句碑を建立する。「芭蕉句碑銘」
文化年中一八〇四~一八一八・東間村の宝光寺が焼失し、その後廃寺となる。
文政 二一八一九5 渡邉崋山は、「玄同放言」の挿絵として蒲桜を載せるための、写生と調査に石戸宿を訪ねる。
文政 四一八二一8 桶川宿と同宿助郷三十五か村は、文政四年から向う五か年間、人足二十九人、馬二十九疋のうち、五人五疋を従来のとおり囲人馬とし、二十四人二十四疋を日々勤めるように議定を取極める。「吉田眞士家文書」
文政 六一八二三6 関東に暴風雨
文政 七一八二四8 備前堤切崩出入り一件の吟味が不公平として、上郷二十八か村惣代源七(別所村)・邦八(花ノ木村)他二名が奉行所へ出訴する。「桶川市史」
文政 八一八二五2 高尾村千歳が木挽手間賃を高値払いして指物師仲間惣代へ詫状を差しだす。「藤井真家文書」
文政 一〇一八二七4 宮内村の氷川神社は、神祇菅領長上家より武蔵国三宮氷川大明神と題字告文を賜わる。「滝沢厳家文書」5 改革組合が結成される
6 備前堤高低出入りにつき、裁許証文が関係宿村(訴訟方として、山中・別所・古市場・花ノ木・上宮内・下宮内・深井の各村が含まれる)から評定所へ出される。「桶川市史」
11 上尾・桶川・鴻巣三宿で日〆帳等に疑惑ありとされ、取調のうえ過料銭を課せられる。「吉田眞二家文書」
文政 一一一八二八4 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」・若者組禁止令
天保 二一八三一7 寺子屋師匠大島耕運の頌徳碑が建立される。「大島靖久氏宅」
9 有君様下向につき幕府より往還筋の村々に対し触書がでる。「吉田眞士家文書」
12 元宿村で一一月中火災で類焼した一五人が馬喰町御貸付金より三〇両拝借する。「岡野正家文書」
天保 三一八三二5 この月の下石戸上村の田方名寄帳が残されている。「吉田眞士家文書」・天保の飢饉始まる
天保 四一八三三・全国的に冷害、大凶作。各地で打ちこわし起こる
天保 五一八三四12 関東御取締出役が下石戸上村各戸の米麦雑穀の保有料調査をする。「吉田眞士家文書」
12 元宿村名主新右衛門より名主隔年勤務継続願いがでる。また、何かと反抗する小前百姓につき問い糺すよう願いでる。「岡野正家文書」
天保 七一八三六9 この月下石戸上村の田方立毛内見帳がある。「吉田眞士家文書」・全国的に冷害、大凶作。各地で打ちこわし頻発
天保 八一八三七3 下石戸上村では、村方困窮の人のために、富有の百姓十二人が出金し、二十二軒六十三人に貸し与え生活費に当てさせる。「吉田眞士家文書」2 大塩平八郎の乱
・家斉、将軍職を家慶に譲る
天保 九一八三八7 下石戸上村では、組頭竹次郎(二十六か年以前より)、百姓庄左衛門(六か年以前より)名主徳太郎(四か年以前より)が、質屋渡世を行う。「吉田眞士家文書」
8 西御丸御炎焼につきその再建費用と領主屋敷の囲竹木植栽費用を下石戸村に割当てる。「吉田眞士家文書」
11 西丸普請の上納金請求が、原馬室より高尾村に継送されてくる。「藤井家文書」
12 改革諸入用の負担金を鴻巣の助郷会所へ持参するようにとの文書が、原馬室より花ノ木村に継立てられてくる。「藤井家文書」
天保 一〇一八三九9 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」12 蛮社の獄
天保 一一一八四〇4 この月、下石戸上村で宗門改めが行われる。「吉田眞士家文書」
8 幕府は文政改革の趣意がうすれてきたので改めて御取締筋が行き届くよう鴻巣宿寄場四三か村から請書を出させる。「柳井一郎家文書」
12 前月に発生した本宿村の火災につき、類焼者十五人が借用した金三十両の向う三年間返済延期を地頭所へ願い出る。「岡野正家文書」
天保 一二一八四一5 天保の改革始まる
天保 一三一八四二4 野菜類の初物好みが流行し、温室栽培をしたり、魚や鳥を飼育したりして、料理茶屋などへ高値で売ることを禁止する触れが出され、下石戸上村では村民六十九人が連印請書を提出する。「吉田眞士家文書」
6 村高・家数人別帳・過去十か年の出入馬・伝馬向諸入用などを調べ、来る七月四日鴻巣宿まで出頭するべき旨の廻状が高尾・荒井・宮内・東間・他二か村へ出される。「藤井家文書」
天保 一四一八四三3 この月本宿村で御用桐一二五本植付ける。「岡野正家文書」4 徳川家慶、日光社参
8 荒井村名主平兵衛より酒売掛滞納につき訴状がでる。「岡野正家文書」⑨ 老中水野忠邦失脚
8 この月の下石戸上村の名寄書抜帳が残されている。「吉田眞士家文書」
・この年、下石戸上村で新畑改めが行われる。「吉田眞士家文書」
・この年の下石戸上村の原反別名寄帳が残されている。「吉田眞士家文書」
弘化 二一八四五4 この月城ヶ谷堤圦樋の代替が行われ関係五か村への勘定割合帳がある。「吉田眞士家文書」
弘化 三一八四六12 この月下石戸上村ほか五村で備荒用として一〇俵、ほか領主負担で一〇俵の囲米をする。「吉田眞士家文書」6~8 関東大洪水
嘉永 元一八四八8 桶川宿寄場役人から、下石戸上下、石戸宿等の村々へ、宿村立廻りの遊芸人等追払いの達(廻状)が出される。「桶川市史」
12 鹿狩りにつき人足割当、その他の指図書が廻り、本宿村他十三か村、百六十四名が割当られる。「岡野正家文書」
嘉永 四一八五一・石戸宿村の榎堂に、この紀年銘の「原中の物にもつかず啼雲雀」の芭蕉句碑がある。「芭蕉句碑銘」
嘉永 六一八五三8 宮地堰用悪水組合一宿二十三か村(含上下深井村・上下宮内村・別所村・古市場村・山中村・花ノ木村)から出された御定掛場同様の藻刈願が却下される。「新県史」6 ペリー、浦賀沖に来航
・家慶、家定に将軍職を譲る
11 この月、元宿村では凶作に備えて、囲米として米八俵を村方一同より取立てる旨を地頭方に申し出る。「岡野正家文書」
11 異国船渡米防備御用金を下石戸上村他の村々に割当てる。「吉田眞士家文書」
・宮地堰用水組合一宿十六か村(含上下深井村・上下宮内村・別所村・古市場村・山中村)から、浚自普請に関する御差配願が出されたが却下される。「新県史」
安政 元一八五四3 日米和親条約締結
安政 二一八五五3 紅花の自由売買の歎願書が、足立郡埼玉郡三十八か村から出される。(含上中丸・山中・本宿・下石戸上・下石戸下・石戸宿の各村)「桶川市史」10 関東大地震
9 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」
9 紅花出入り一件が内済みとなる。「桶川市史」
安政 三一八五六8 関東で未曾有の大嵐
安政 五一八五八6 米・英・仏・蘭・露の五か国と修好通商条約締結
9 安政の大獄始まる
10 德川家茂、将軍となる。
安政 六一八五九・備前堤切崩し出入り訴訟につき、下郷が争う。(含花ノ木・上下宮内・山中・別所・古市場・深井の各村)「桶川市史」・関東大洪水
万延 元一八六〇9 寿命院は、鴻巣領の内十石ならびに院内山林竹木諸役等免除の朱印状を賜わる。「寿命院文書」3 桜田門外の変
10 石戸宿村の酒造人友七らが、酒造減石の命令をうける。「吉田眞士家文書」
文久 元一八六一2 句集「つつみの花」の中に、次の俳人の作品がある。保積(荒井)国五郎・桐左(石戸)高橋朝次郎・鎖春(荒井)矢部近蔵・永山(石戸)鈴木屋金輔・夕遊(荒井)福島平左衛門・花月(本宿)竜覚院・花暁(本宿)岡田郡次郎。「新県史」
4 和宮下向に際し中山道本宿村往還家並絵図が作られる。「吉沢英明氏蔵」
6 高輪東禅寺異人館へ浪人の切込み事件あり、清川八郎ら手配の急廻章が出される。「矢部洋蔵家文書」
11 和宮下向につき道中奉行より本庄宿より桶川宿までの各宿駅と助郷村々に街道警備触れ書きがでる。「岡野正家文書」
文久 二一八六二4 高尾河岸問屋此右衛門が新船建造する。「田島和生家文書」2 和宮、将軍家茂に嫁す
文久 三一八六三3 横浜表異国船数艘碇泊により市中騒然、所縁ある物は立退き勝手困窮者には救小屋設置の触書が出される。「矢部洋蔵家文書」
3 英国軍艦渡来に付、軍用金上納立替金并夫人足差出方遣ひ払覚帳及び御伝馬触当覚帳が残されている。「矢部洋蔵家文書」
4 鴻巣宿の当分の助郷十二か村(高五千六百三十三石八斗四升)分の人馬を、深井村三郎兵衛他二名が、高百石に付八両二分で請負う。「新県史」
7 異国軍艦渡来に付、御地頭所夫人足勤入用割合帳がのこされている。「矢部洋蔵家文書」
7 高尾村薬師堂で、流行病災祈祷の天王臨時祭礼や神輿巡行が行われる。「吉田眞士家文書」
8 下石戸上村名主徳太郎が、桶川宿寄場組合の大惣代に推される。「吉田眞士家文書」
8 当今米価格別の高値にて諸人難渋、よって関八州の儀は鑑札高の四分三減じ四分一酒造の触書が出される。「矢部洋蔵家文書」
11 上中丸の百姓忠蔵外一名が、関東取締出役に質屋渡世願を出す。「吉田眞士家文書」
12 この月の高尾河岸問屋此右衛門運賃請取の覚がのこされている。「矢部洋蔵家文書」
文久 四一八六四・代官福田所左衛門役所から、文久二年以降三十年分の菜種・綿実の出石高調べの廻状が村々へ出される。「藤井家文書」
元治 元一八六四3 硝石製造に付、諸入用覚帳がのこされている。「矢部洋蔵家文書」3 水戸天狗党の乱
7 蛤御門の変
10 代官福田所左衛門の手代から、当節防長につき出精して、くつ・わらじを拵え、鴻巣宿・桶川宿へ売り出すべき旨の触が出される。「藤井家文書」8 第一次長州征伐
9 第二次長州征伐
慶応 元一八六五3 鴻巣宿定助郷荒井村で伝馬請負人と取り結んだ請負証文がある。「矢部洋蔵家文書」
慶応 二一八六六6 御伝馬筋相談につき、高尾・荒井・東間他二か村へ廻状が出される。「藤井真家文書」12 徳川慶喜、将軍となる。
7 御改革筋により、酒造人連絡につき、明日助郷会所へ出向すべき旨の廻状が、助郷惣代・寄場役人から荒井村他四か村へ出される。「藤井家文書」
7 打毀し一件逮捕者取調諸入用につき、鴻巣宿まで出向すべき旨の廻状が、大惣代の深井村他五か村へ出される。「藤井家文書」
8 公方様大阪表において薨御遊ばされる。よって普請鳴物停止の御触が出される。「矢部洋蔵家文書」
9 松村忠四郎役所から、定免・検見にかかわらず、一か村二・三か所ずつ坪立を残し置くようにとの廻状が出される。「藤井真家文書」
9 米価高値につき、稼高五十石以下の酒造家は製造を中止するよう達しがあり、大小惣代・寄り場役人が請書を提出する。「吉田眞士家文書」
慶応 三一八六七4 酒造取締のため役人廻村の廻状が出される。「桶川市史」10 将軍慶喜、大政を奉還
4 鴻巣宿八百屋から、再度さつま芋問屋新規取立ての申し入れをしてくる「桶川市史」
5 荒井村酒造人善三郎は、過造のため、関東取締出役から封印を命ぜられる。「藤井真家文書」
・荒井村役人惣代組頭新蔵から、関東取締出役へ酒造の件につき願書が出される。「藤井真家文書」
7 東間・上下中丸、山中、本宿、下石戸上下他二か村の村々では、鴻巣宿八百屋が申し入れを撤回するまでさつま芋の不出荷を決め、脱落者防止のため鴻巣宿入口に近い中山道・岩槻往還の二か所へ見張りを出す。「桶川市史」
8 この月の薩摩芋売買につき、鴻巣宿芋屋仲間三名、他十二か村十二名により、再度取り決めを行う。「岡野正家文書」
慶応 四一八六八2~4 幕末の騒然たる世情を一農民の目から見た日記がある。「加藤得寿家文書」
3 鴻巣宿問屋から助郷村々へ、官軍通行宿泊につき相談したい旨の急廻状が出される。「藤井真家文書」
3 農民鎮撫のため、軍事掛手付江川隼太が廻村する旨の通達が代官大竹左馬太郎役所から出される。「藤井真家文書」
3 神仏混淆を禁止する。
・菖蒲町、騎西町などで七軒の火災が発生し、近隣の村々は、桶川宿に宿泊中の岩倉殿に頼み、乱暴者を捕り押さえてもらう。「加藤得寿家文書」
3 東山道総督府から、勅使通行を妨害した場合には、朝敵として討取る旨の通達が出され、村々にこの旨の高札を掲げるよう廻状が出される。「藤井真家文書」
4 東海道総督府(会計方)から、鴻巣宿組合村々へ高百石につき白米三俵、金三両宛、品川宿官軍賄所まで納めるよう通達が出される。「藤井真家文書」
④ 荒井村組頭新蔵宅へ盗賊が侵入し、被害届が出される。「藤井真家文書」
5 荒井村久兵衛宅へ盗賊が侵入し、被害届が出される。「藤井真家文書」
・賊徒誅伐につき、村々へ廻状が出される。「藤井真家文書」
6 忍藩士山田一太夫が、武蔵知県事に任ぜられる。「大政類典六二」
7 旧幕時代の評定所に代わり、江戸鎮台に民政裁判所が置かれ、従来通りの関八州の公事出入を取扱う旨の触があり、石戸宿ほか八か村の組合一同請書を提出する。「吉田眞士家文書」
9 山田一太夫より、田方検見につき通達が出される。「藤井真家文書」
9 御一新につき、酒造・濁酒造・醬油造・冥加金等の件の通達が出される。「桶川市史」
近代・現代(詳細はクリックしてご覧ください)

年号西暦北本地域のできごと日本のできごと
明治 元一八六八10 この月、下宮内村大乗院住職が知県事宛に、復飾して神職に転じたい旨の願を出す。「滝沢厳家文書」4 江戸城開城
7 江戸を東京と改称
・この頃、上・下深井村が合併し深井村に、上・下宮内村が合併し宮内村になる「郡村史」10 太政官発足
・この年、石戸宿村・下石戸上村・下石戸下村・高尾村・荒井村(枝郷北袋村含)・東間村・深井村・宮内村・本宿村・山中村・古市場村・上下中丸村・花野木村・別所村が武蔵知県事の管轄となる。「郡村史」
・この年、高尾村の本山派修験玉蔵院が廃寺となる。「郡村史」
明治 二一八六九1 武蔵知県事山田一太夫に代わり、弁事出仕宮原中務が知県事に任ぜられる。「県議会史」1 関所廃止
3 東京遷都
3 宿・助郷組替え通達
6 版籍奉還
1 大宮県が設置され、市域の村々は大宮県の管轄となる。「郡村史」
9 大宮県を浦和県と改称する。「大政類典」
明治 三一八七〇12 浦和県は鴻巣宿外三宿に出張所を設置する。「県議会史」4 宿駅付属の助郷制廃止
9 平民に氏の称を許す
明治 四一八七一2 このころ軍兵の移動を背景とする打ちこわしや百姓一揆が多発し、鴻巣・桶川周辺でもおよそ一七〇か所で放火、打ちこわしがあった。1 寺社上知令
7 廃藩置県
11 浦和県が廃止され、市域の村々は埼玉県の管轄となる。「県議会史」
11 乗合馬車会社広運社が中山道の東京万世橋~高崎間で営業を始める。「旧県史」
明治 五一八七二4 庄屋・名主・年寄等の称を廃止し、正副戸長を置く。「法令全書」3 壬申戸籍作成
5 県内郵便取扱駅として、中山道の旧伝馬問屋をこれにあてる。4 日曜休暇制制定
7 県内各駅の伝馬所を廃止し、陸運会社を設立する。「県史提要二」7 全国に郵便施行
9 中山道の熊谷~大宮間に郵便馬車が開通する。「大宮市史」8 学制発布
・深井勘助没(一八五二年 江戸に出て漢籍を学び、郷里に帰り戸賀崎熊太郎に剣道、神道無念派を学ぶ)12 太陽暦採用
明治 六一八七三1 県は飛脚制度を全廃し、官営の郵便制度を実施する。「旧県史」1 徴兵令布告
1 道路の幅員を制定し、中山道六間、脇往還四間、村往還二間を原則とする。「県史提要」7 地租改正条例公布
9 征韓論おこる
1 石戸宿・下石戸上・下石戸下・本宿・上日出谷の各村を通学区として石戸学校を設立する。校舎は大蔵寺を使用する。「県教史」
1 高尾・荒井・原馬室・滝馬室・の各村を通学区として高尾学校を設立する。校舎は泉蔵院を使用する。「郷土史」
1 東間・深井・宮内・古市場・常光別所の各村を通学区として宮内学校を設立する。校舎は常福寺を使用する。「県教史」
明治 七一八七四・本宿・山中・上下中丸・花ノ木の各村を通学区として中丸学校を設立する。校舎は幕末維新期に星吉隆證和尚が寺子屋を開いていた遍照寺の提供をうけ、和尚は自ら教師となる。「県教史」1 板垣退助ら民選議員設立建白書を提出
8 郵便貯金制度発足
明治 八一八七五1 「行政の便」「冗費の節約」を目的に北本市域初の合併が行われ「中丸村」誕生。3 地租改正事務局設置
・このころ換金性の強い商品作物(サツマイモ・人参・サトイモ・藍葉など)が栽培された。「郡村史」
明治 九一八七六3 帯刀禁止令
明治 一〇一八七七8 東京~新潟間の電信開通のため、中山道に電柱を架設する。「今日の郷土史」1 地租軽減される
2~9 西南の役
・石戸村表忠碑に新井作助以下七名が西南戦争に出征した記録がある。
明治 一一一八七八1 石戸宿村の荒川通渡船賃銭は、乗客一人持荷共金二厘、荷馬一匹馬子共五厘となる。「渡船橋梁免許台帳」7 郡区町村編成法、府県会規則、地方税規則(三新法)公布
明治 一二一八七九9 学制発布、教育令制定
12 大森貝塚発見される
明治 一三一八八〇・中丸学校は通学区に篠津村を編入する。「県教史」4 集会条例、区町村会法制定
5 府県に農事会、共進会開設を奨励
7 刑法、治罪法公布
明治 一四一八八一3 上生出塚・下生出塚・深井村の三か村戸長役場組合から深井村が分離する。「県行」10 国会開設の詔が出される
11 日本鉄道会社設立
7 本年制定の「郡区町村編制法」にのっとり本市でも戸長選挙が行われ荒井村では矢部長作が、東間・宮内村では松村源兵衛が選出される。
明治 一五一八八二・石戸宿村を通学区として西石学校が石戸学校より分離独立する。校舎は、法光寺を使用する。「県教史」10 日本銀行開業
明治 一六一八八三1 桶川郵便局の管轄下だった石戸村四か所に郵便差出所が設置される。(下石戸上・高尾・石戸宿・荒井)「郷土史」6 天気予報開始
7 日本鉄道第一区線上野~熊谷間が完成し、上尾・鴻巣他四駅が営業を開始する。「駅年史」
明治 一七一八八四7 連合戸長制の実施による官選戸長に、東間村連合・矢部長作、上日出谷村連合・吉田徳太郎、原馬室村連合・斎藤竹次郎が任命される。「県行」5 区町村会法改正
9 加波山事件
10 秩父事件 
明治 一八一八八五7 東北本線大宮、宇都宮間開通
12 太政官制廃止、内閣制度施行
明治 一九一八八六・高尾学校は馬室村連合村の共盛学校高尾分教場となる。「郷土史」4 師範学校令、小学校令、中学校令公布
明治 二〇一八八七3 宮内学校・中丸学校・梅林学校の三校を合併して、古市場村に山中学校を設立する。「県教史」5 私設鉄道条例公布
6 憲法起草始まる
明治 二一一八八八9 合併してできる村を石戸村にすることに高尾村が異議を唱える上申書を提出する。その理由は、近隣各村では戸数の多い村や特産物のある村の名を新村名に採用している。どちらをとっても「高尾村」が妥当である。4 東京天文台設置
6 内相、町村合併基準を訓令
明治 二二一八八九4 市制町村制が施行され、石戸宿・下石戸上・下石戸下・高尾・荒井の五か村が合併して石戸村に、東間・深井・宮内・北本宿・山中・古市場・中丸・花ノ木・常光別所の九か村を合併して中丸村となる。合併時の人口は石戸村三、四四三人、中丸村二、八八四人。「県誌」選挙により石戸村初代村長に矢部長作、中丸村初代村長に長島源次郎。2 大日本帝国憲法、衆議院議員選挙法公布
3 土地台帳規則公布(地券廃止)
4 市制・町村制を施行
9 石戸・川田谷組合立高等小学校が設立される。「校史」
9 石戸村役場が大字下石戸上に新築される。「郷土誌」
明治 二三一八九〇7 第一回総選挙実施
10 教育勅語発布
11 第一回帝国議会開催
明治 二四一八九一4 府県制、郡制施行
12 足尾鉱毒問題おこる
明治 二五一八九二8 山中学校を中丸尋常小学校と改称する。「県教史」2 第二回総選挙実施、選挙大干渉行われる
明治 二六一八九三4 中丸尋常小学校に高等科を併設し、中丸尋常高等小学校と改称する。「校史」
明治 二七一八九四・石戸学校高山仮教場が高山尋常小学校と、石戸学校石山仮教場が石山尋常小学校と、石戸学校城山教場が城山尋常小学校となる。「郷土誌」4 日清戦争始まる
明治 二八一八九五8 日清講和、下関条約調印
明治 二九一八九六8 郡会議員配当が川田谷村・石戸村・馬室村で一人、中丸村・常光村・鴻巣町で一人と定められる。「新県史」3 台湾総督府条例公布
明治 三〇一八九七・このころ鴻巣町常光村連合耕地整理組合(中丸村含)は県下初の整理事業を実施する。この組合方式は第五回内国博覧会で一等賞となる。3 足尾鉱山鉱毒被害民上京、請願運動を開始
10 金本位制実施
明治 三一一八九八7 民法施行
明治 三二一八九九2 中学校令、実業学校令公布
3 府県制、郡制改正
明治 三三一九〇〇・石戸村に赤痢の隔離病舎が建設される。「新聞」3 産業組合法・土地収用法公布
・このころ諸学校行事の慣例化が定着し運動会が盛んに行われた。他校との交流も盛んだった。「中丸小校務日誌」7 清国義和団鎮圧に軍隊派遣(北清事変)
明治 三四一九〇一9 北清事変講和最終議定書調印
明治 三五一九〇二2 元荒川から引水した谷田用水の使用に関する約定書が、関係者(鴻巣町・常光村・中丸村)惣代から中丸村長宛に提出される。「加藤一男家文書」1 日英同盟協約調印(第一回)
12 石戸村農会が設立される。「郷土誌」
明治 三七一九〇四・日露戦争応召者(北足立郡全体で三九七名。そのうち石戸村一一六名、中丸村五九名)2 日露戦争始まる
明治 三八一九〇五9 日露講和、ポーツマス条約調印
12 韓国総督府を設置
明治 三九一九〇六3 中丸村で日露戦争凱旋祝賀会が盛大に開催される。3 鉄道国有法公布
11 石戸村青年会が第一回壮丁教育を実施する。「郷土誌」
12 中丸村農会は、巡回教師を招き農業講習会を開催する。。「加藤一男家文書」
明治 四〇一九〇七4 中丸村青年会が設立される。「校史」3 小学校令改正、義務教育が六年制となる
明治 四一一九〇八2 石戸村で天然痘が発生する。徹夜で種痘を接種し、三日間で三五〇〇人の接種を行う。「新聞」4 第一回ブラジル移民出発
10 戊申詔書発布
3 石戸・川田谷組合立高等小学校が解散する。「校史」
12 石戸村の三つの小学校を統合して石戸尋常高等小学校と改称し、併せて高等科に農業科を加設する。「郷土誌」
明治 四二一九〇九・明治二十二年埼玉県は市制・町村制にあわせ町村合併を進め、その作業後選挙原簿・選挙人名簿を作成し、選挙準備にとりかかった。市域に残る最も古い資料は明治四十二年のもので石戸村議長に吉田時三郎、中丸村議長に松村銀蔵が選出された。4 種痘法公布
明治 四三一九一〇6 石戸村が地方改良事業に関して、北足立郡の模範町村として内務省に具申される。「新聞」1 産業組合中央会設立
5 大逆事件の検挙始まる
8 明治期最大の水害が発生するが詳細は不明。翌年石戸・中丸両村に水害義損金が交付される。
11 石戸村教育展覧会ならびに同村家具指物競技会が石戸小学校で開かれる。「新聞」11 帝国在郷軍人会発令
明治 四四一九一一3 中丸村産業発起会が、中丸小学校で開かれる。「新聞」2 日米通商航海条約改正、関税自主権を回復
7 中丸村信用販売購買組合が設立される。「新聞」
10 行田電灯会社が認可を受け忍町・鴻巣町等に配電する。中丸村も含まれる。
・五味良信翁没(一八四八年生 柳剛流を極め、小野派一刃流を学び警察の嘱託となり後輩の指導にあたる。名主、戸長も務める)
明治 四五(大正元)一九一二1 石戸小学校で「石戸村郷土誌」が編さんされる。村長吉田時三郎、助役新井勇左衛門、石戸尋常高等小学校長上野多三郎の尽力が大であった。(平成五年三月復刻版刊行)12 第一次護憲運動
大正二一九一三市域では桐ダンスの引出し(ハコ)の生産が盛んで、明治から大正にかけて高尾地区には四〇軒以上の「ハコヤ」(職人)がいた。高尾河岸から東京方面へ出荷された。11 大日本国防義会結成
大正三一九一四6 高崎線桶川~鴻巣間の中丸村大字北本宿に信号所設置の計画がほぼ決定する。また同所に停車場設置の運動がおこる。「新聞」7 第一次世界大戦始まる
8 日本、ドイツに宣戦布告
大正四一九一五4 石戸村出身の戦病死者表忠碑が完成する。「新聞」1 中国に二一か条要求提出
大正五一九一六13 米麦品種改良奨励規則公布
大正六一九一七4 中丸村・加納村・常光村連合耕地整理組合が設立され、耕地整理を始める。「郡誌」9 工場法施行
・本宿信号所が設置される。
大正七一九一八7 米騒動おこる
・政党内閣成立
大正八一九一九6 ベルサイユ平和条約調印、国際連盟加入
大正九一九二〇10 第一回国勢調査が実施される。(人口七六三三人、石戸・中丸両村計)「統計」5 日本最初のメーデー
10 第一回国勢調査実施
10 桶川~鴻巣間に新駅を設置するための期成同盟会が組織される。「関口欣一家文書」
大正一〇一九二一12 日英米仏四国協約調印、日英同盟廃棄
大正一一一九二二4 中丸村大字宮内五戸組合矯風会申合規約が定められる。「長島末吉家文書」4 農会法・借地措家調停法公布
4 埼玉県水平社が全国二番目に設立され、夏には北本の神社でも三〇〇余名を集めた講演会が行われる。
10 石戸宿東光寺の蒲桜が天然記念物として国の指定を受ける。「県誌」
大正一二一九二三3 石戸村蒲桜保存会が設立される。「郷土誌」4 郡制廃止
9 高崎線の下石戸下信号所で震災避難者を満載した列車が脱線転覆事故を起こす。「史話」9 関東大震災
9 下石戸下二ツ家地内に関東大震災救護所を設ける。「行」
9 関東大震災後の朝鮮人に対する残虐行為が多発する中、中丸村の片山栄吉が殺気立つ人々を鎮め朝鮮人護送の安全を図った。「北足立郡大正震災誌」
大正一三一九二四1 第二次護憲運動 
12 小作調停法施行
大正一四一九二五10 国勢調査が行われる。(人口七六八六人、石戸・中丸両村計)「統計」4 治安維持法発布 
5 普通選挙法公布
大正一五(昭和元)一九二六7 村立青年訓練所が石戸・中丸両村に設立される。「校史」
12 本宿信号所に新駅を設立する旨の請願書が提出される。「関口欣一家家文書」
昭和二一九二七1 本宿信号所を駅に変更する旨の請願書を提出「関口欣一家家文書」3 金融恐慌おこる
4 石戸尋常高等小学校に講堂が新築される。「校史」・健康保険法施行
6 石戸村農友会長田島忠夫・副会長小島業三郎の奔走の結果、石戸トマトクリーム販売組合が設立される。「石戸郷土読本」
昭和三一九二八1 東京三越で開催された全国名産食料品陳列会に埼玉名産品として熊谷の五家宝、川越の芋煎餅とともに石戸村のトマトクリームとトマトピクルスが出品され好評を得る。2 普通最初の総選挙実施
5 石戸トマトクリームが、御大礼博覧会で優良国産品として表彰される。「石戸郷土読本」
8 駅の設置場所をめぐる激しい争奪戦の結果、その位置は北部に決定し、北本宿駅が営業を開始する。初代駅長河合豊作。「県誌」
昭和四一九二九1 解脱会が開教される。9 東武日光線開通
・ 全国綴方コンクールにおいて、石戸尋常高等小学校が最優秀賞を受ける「校史」
昭和五一九三〇1 高崎線が複線化し開通する。・米価暴落
10 国勢調査が行われる。(人口八〇五四人、石戸・中丸両村計)「統計」
昭和六一九三一9 満州事変
昭和七一九三二9 県は経済更生計画樹立町村として、石戸村のほか三十町村を選ぶ。「県教史」1 上海事変
3 満州国建国宣言
5 五・一五事件
昭和八一九三三3 荒井橋が開通する。「新聞」3 国際連盟脱退
7 埼玉県歴史教育研究発表会が中丸尋常高等小学校において開催される。「校史」11 米穀統制法施行
・郷土教育のあり方について議論が高まる中、石戸尋常高等小学校では綱島憲次教諭が中心となり「石戸郷土読本」を刊行する。
昭和九一九三四3 北本宿耕地整理組合による耕地整理事業が完成する。「県誌」3 満州国帝政実施
4 中丸村郵便取扱所が開設される。「県誌」9 室戸台風、関東大暴風雨
11 石戸尋常高等小学校に奉安殿が建設される。「校史」
昭和一〇一九三五7 中丸村立公民学校・青年訓練所が廃止され、中丸村立青年学校が開設される。「校史」10 青年学校令公布
10 関東地方大豪雨
10 国勢調査が行われる。(人口八一四五人、石戸・中丸両村計)「統計」
・石戸村立公民学校・青年訓練所が廃止され、石戸村立青年学校が開設される。「校史」
昭和一一一九三六10 谷田用水路の掘さくが完成し、費用報告が出される。「加藤昌一家文書」2 二・二六事件
昭和一二一九三七8 日中戦争戦没者三名の村葬が石戸小学校で盛大に行われる。7 日華事変(日中戦争始まる)
11 中丸郵便取扱所内で電話通話業務を開始する。「県誌」10 国民精神総動員中央連盟創立
・国防婦人会中丸分会が結成される。
昭和一三一九三八5 国家総動員法施行(一部)
7 国民健康保険法施行
昭和一四一九三九4 中丸警防団が結成される。「加藤昌一家文書」4 米穀配給統制法公布
4 中丸村国防婦人会は、出征兵士への慰問文等送達の郵税と維持費の調達のため廃品回収を実施する。「加藤昌一家文書」9 第二次世界大戦始まる
昭和一五一九四〇10 国勢調査が行われる。(人口八三六六人、石戸・中丸両村計)「統計」3 義務教育費国庫負担法公布
・日中戦争が激しくなったこのころ、大政翼賛会や翼賛壮年団、国防婦人会が組織されていく。8 臨時米穀配給統制規則公布
9 日独伊三国同盟調印
11 大日本帝国国民服令公布
昭和一六一九四一3 北本宿多聞寺のムクロジが県の天然記念物に指定される。「県教史」3 国防法安法公布
3 国民学校令公布
4 石戸宿東光寺の板石塔婆が国の重要美術品の認定を受ける。「県教史」4 生活必需物資統制法公布
8 金属類回収令公布
4 石戸・中丸両尋常高等小学校は、それぞれ国民学校に改称する。「校史」11 国民勤労報国協力令公布
12 太平洋戦争始まる
11 中丸国民学校の奉安殿竣工祝賀式が行われる。「校史」
昭和一七一九四二6 井野農相と県知事が石戸・中丸の大麦脱穀と、農繁託児所を視察する。「流石日本一の麦の産地だわい」「銃後の農村大丈夫」との感想を語った。「新聞」2 衣料切符制実施
4 米軍機、初めて本土を空襲
10 石戸・中丸両村による新村造成研究会が開かれる。「行」
11 県主催の新村造成研究会が浦和で開かれ、石戸・中丸両村合併に関する問題が審議される。「校史」
12 村議会で石戸村・中丸村合併に関し、県知事への上申を議決する。「行」
・昭和十二年から始まった満蒙開拓青少年義勇軍に市域からもこの年までに四名が参加する。
昭和一八一九四三2 石戸村と中丸村を合併して北本宿村とし、役場を大字北本宿五七三番地に置く。「県誌」4 緊急物価対策要綱決定
11 大東亜宣言
3 中丸郵便取扱所が北本宿郵便局となる「県誌」12 第一回学徒出陣
3 石戸・中丸両青年学校が統合され、北本宿青年学校となる。「校史」
・このころ「金属回収令」により寿命院などの梵鐘が供出される。
昭和一九一九四四3 石戸・中丸両農会および両信用販売購買利用組合が合併し、北本宿村農業会が設立される。「合併十三年のあゆみ」1 防空法の疎開命令発令
10 神風特別攻撃隊編成
5 埼玉銀行北本宿支店が設立される。「埼玉銀行史」
8 多聞寺・寿命院に東京の久松国民学校の児童が集団疎開し、中丸国民学校へ通う。「校史」
昭和二〇一九四五3 昭和十九年度の警戒警報発令・解除に関する記述が一二〇回に及ぶ。「石戸国民学校日誌」1本土決戦等戦争指導大綱決定
8 ポツダム宣言受諾、終戦の詔勅
5 戦時教育令が公布され、児童生徒は国土防衛のため学校報告隊に組織される。・総司令部、民主化指示
6 本土決戦に備えて石戸・中丸両校に軍隊が駐屯したため短期間ではあったが二部授業となる。「校史」
9 連合軍総司令部は、戦時教材の省略削除などを命ずる。
12 北本宿西耕地整理組合が設立される。「県誌」
昭和二一一九四六1 中丸国民学校は、児童の使用していた修身・国史・地理の教科書をすべて回収する。「校史」4 普通初の総選挙、婦人参政権達成
12 北本宿東耕地整理組合が設立される。「県誌」・農地改革始まる
昭和二二一九四七3 北本宿村農地委員会が認知される。「県誌」2 食糧緊急措置令施行
4 六三制教育制度が実施される。この学制改革により石戸・中丸国民学校は小学校と改称し、それぞれに中学校を設置する。「教育」3 物価統制令施行
4 衆・参議院、統一地方選実施
4 村長・村会議員選挙が行われ北本宿村初の公選村長として木村卯之吉が選出される。「行」4 六三制教育体制実施
5 日本国憲法・地方自治法施行
9 キャスリン台風により北本宿村で死者一名、浸水九戸、田畑の冠水一一七・六町歩の被害がでる。「県誌」9 キャスリン台風
9 国勢調査が行われる。(人口一万二七一七人)「統計」
10 北足立郡鴻巣町・常光村・北本宿村・加納村は水害復旧のために県水害対策本部に陳情書を提出する。「県水害誌」
昭和二三一九四八4 国鉄大宮~高崎間の電化事業が着工される。4 新制高等学校が発足
6 石戸・中丸両農業協同組合が設立される。「県誌」6 昭和電工事件
10 北本宿村国民健康保険条例が認可される。「県報」7 教育委員会法制定
10 石戸・中丸両農業共済組合が設立される。「県誌」12 公共企業体労働関係法公布
10 石戸・中丸両養蚕農業協同組合が設立される。「県誌」
11 岡野聖憲没(明治十四年北本宿村生まれ 昭和四年新宗教団体解脱会を立教)
昭和二四一九四九5 石戸小学校で学校給食(副食)が開始される。「校史」1 初の成人の日実施する。
8 北本宿巡査部長派出所が設置され、北本宿村・加納村・川田谷村を管轄する。「県報」4単一為替レート決定
6 社会教育法公布
昭和二五一九五〇4 石戸・中丸両中学校を統合し、北本宿中学校とする。初代校長掛川騰「教育」4 公職選挙法公布
5 国土総合開発法公布
4 国勢調査が行われる。(人口一万三四五七人)「統計」8 文化財保護法施行
昭和二六一九五一3 北本宿西耕地整理組合による耕地整理事業が完成する。「県誌」9 サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印
3 上沼土地改良区及び下沼土地改良区のそれぞれの用水に陽水機が設置される。「県誌」
昭和二七一九五二4 中丸小学校に給食場が完成する。「教育」2 日米行政協定調印
7 高崎線が電化され、電気機関車が走る。3 企業合理化促進法公布
10 北本宿村教育委員会委員選挙が行われ、無投票で四名が当選する。「行」7 全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)結成
11 公選による教育委員が誕生し徳屋晃恭が初代教育長となる。
昭和二八一九五三5 北本宿村婦人会が発足する。2 テレビ放送開始
7 北本宿巡査部長派出所庁舎の落成式が行われる。9 町村合併促進法公布
8 「北本宿村だより」第一号が発行される。
9 村の全域が都市計画法の指定を受ける。「県誌」
昭和二九一九五四6 北本宿村・常光村合併促進協議会規約が成立する。「行」3 日米相互防衛援助協定(MSA協定)調印
6 高崎線電化促進に関する要請書を提出する。「行」
6 常光村は鴻巣町へ合併することになり、北本宿村との合併案が消滅する。「行」4 全日本労働組合会議(全労)結成
9 町村合併について、現状維持でいくことに決定される。「行」6 学校教育法公布
7 自衛隊発足
11 全国農業協同組合中央会設立
昭和三〇一九五五4 村長・村議会議員選挙が行われる。「行」1 産米予約買付制採用
4 北本宿村工場設置奨励条例が制定される。「行」9 ガット正式加盟
10 国勢調査が行われる。(人口一万四二六三人)「統計」
昭和三一一九五六10 高崎線に湘南型電車が走る。10 日米国交回復
12 国際連合加盟
昭和三二一九五七4 北本宿村中央公民館が設立される。1 南極観測昭和基地設営
・北本宿村文化財保護条例が制定され、文化財保護委員がおかれる。
・埼玉県信用金庫北本支店となる(昇格)「県誌」
昭和三三一九五八12 一万円札発行
昭和三四一九五九2 北本駅前通り中山道商店街を背景として北本宿商店会が発足する。昭和三十六年北本町商工会と改称し発展的解消をはかる。1 計量単位、メートル法に統一される
4 農林省関東東山農事試験場畑作部及び農業技術研究所生理遺伝部生理第二科が荒井に設置される。9 伊勢湾台風襲来
・この年岩戸景気となる
4 村長・村議会議員選挙が行われる。「行」
11 町政施行により北本宿村を町とし、名称変更により北本町となる。「県報」
昭和三五一九六〇4 三笠宮妃殿下が、愛育班活動視察のため来町される。1 第二次日米安全保障条約調印
4 国勢調査が行われる。(人口一万五四八三人)「統計」6 安保阻止統一運動
6 道路交通法公布
8 同和対策審議会設置法公布
昭和三六一九六一2 北本町商工会が設立される。「県誌」4 拠出国民年金制度発足
4 工場設置奨励条例が廃止され、新たに北本町工場誘致委員会条例が公布される。「行」6 農業基本法公布施行
9 第二室戸台風襲来
11 農業近代化資金助成法公布
11 災害対策基本法公布
昭和三七一九六二1 中丸小学校で完全給食が開始される。「広」3 日米ガット関税取決め調印
5 大宮~鴻巣間国道十七号線が開通する。「広」4 日本婦人会議結成
6 北本町役場新庁舎の起工式が行われる。「広」4 全日本労働総同盟組合会議結成
6 国道十七号線に陸橋架設期成同盟会が結成される。「広」5 常磐線三河島事故
5 新産業都市建設促進法公布
8 堀江謙一、小型ヨットで太平洋横断成功
昭和三八一九六三2 北本春秋クラブ結成総会が北本中学校講堂で開かれる。。「広」2 全国民主化運動連絡協議会結成
3 国道十七号線の人道橋架設落成式が中丸小学校で行われ、引続き渡り初め式が行われる。「校史」2 全国農民総連盟結成
4 現在地に町役場庁舎が完成する。「行」3 中小企業近代化促進法公布
4 町長・町議会議員選挙が行われる。「行」3 吉展ちゃん誘拐事件がおこる
8 北本巡査部長派出所が完成する。「広」6 黒四ダム完成
10 桶川・北本水道組合が発足する。「県誌」7 老人福祉法公布
7 中小企業基本法公布
8 核実験停止条約調印
12 教科書無償措置法公布
昭和三九一九六四3 高尾の荒川河岸で発見された丸木舟の発掘調査が行われる。「広」3 日本鉄道建設公団法公布
3 石戸・中丸両農業協同組合が合併し、北本町農業協同組合が発足する。「県誌」6 新潟を中心に大地震発生
7 母子福祉法公布
7 北本町・鴻巣市・吹上町・菖蒲町・川里村で北本地区衛生組合を設立する。「広」6 新河川法公布
8 東京の水不足深刻化する
10 オリンピック東京大会の聖火が町内を通過する。「広」10 東海道新幹線営業開始
10 オリンピック東京大会開催
11 全日本労働総同盟結成
昭和四〇一九六五3 北本総合処理場建設工事の起工式が常光別所地内で行われる。「広」6 日韓基本条約調印
10 朝永振一郎、ノーベル物理学賞受賞
5 表忠碑及び日韓戦没記念碑が青年研修所の敷地内に復元される。「広」11 いざなぎ景気始まる
6 北本駅~行田間のバス路線が開設される。「広」
8 町章が制定される。「広」
10 国勢調査が実施される。(人口二万五七六人)「統計」
11 交通安全対策協議会が発足する。「広」
11 埼玉県住宅供給公社による町内初の北本第一団地が高尾に建設される「県誌」
昭和四一一九六六3 北本郵便局の電話通話業務を分離し、鴻巣電報電話局に集中合併する。ダイヤル式自動電話となる。「県誌」1 第一回赤十字国債発行
2 全日空機羽田沖墜落事故
9 県下で初めての農村集団自動電話が石戸・中丸両地区で開通する。「広」2 第一回物価メーデー開催される
10 都市ガスを供給する新日本ガス株式会社が操業を開始する。「行」3 総人口一億人突破
12 上水道の給水が始まる。「広」4 公労協、交運共闘統一ストが行われる
7 新東京国際空港公団設立
昭和四二一九六七4 南小学校が開校する。校舎建築中のため完成までの間石戸・中丸両小学校の校舎を一部使用する。「教育」7 ラジオ受信料廃止
8 公害対策基本法公布
4 町長・町議会議員選挙が行われる。「行」9 上越線新清水トンネル開通
10 北本町工場誘致委員会条例が廃止される。「行」
11 北本総合し尿処理場の竣工式が行われる「広」
昭和四三一九六八6 義務教育施設及び社会教育施設の建設事業の財源にあてるために基金を設ける。「行」4 小笠原返還協定調印
5 消費者保護基本法公布施行
7 交通指導員制度が発足する。「広」6 大気汚染防止法、騒音規制法公布
8 北本橋上駅舎並びに駅前広場建設促進期成会が発足する。「広」7 郵便番号制度が実施される
10 川端康成、ノーベル文学賞を受賞
昭和四四一九六九1 都市計画法に基づく用途地域の指定が行われる。「県誌」5 第一回公害白書発表
4 石戸・中丸両養蚕農業協同組合が合併して北本町養蚕農業協同組合となる。5 東名高速道路全通 6 都市再開発法公布
11 町制施行十周年を記念して、文化祭・写真展・レクリエーション大会・投げ市が開かれ、記念式典も行われる。「広」7 同和対策事業特別措置法公布施行
11 日本住宅公団北本団地の造成が始まる。「県誌」11 沖縄返還を決定した日米共同声明発表
・ この年、テレビの生産台数が世界第一位となる
昭和四五一九七〇3 北本駅~鴻巣駅間(常光廻り)運行のバス路線が開設される。「広」2 国産初の人工衛星打上げに成功
5 英霊塔が北本宿天神社参道北側に完成し、除幕式が行われる。「広」3 大阪で万国博覧会開会
・稲作減反政策実施
8 市制施行準備会の初会合が開かれる。「広」4 日中覚書貿易協定調印
8 新都市計画法により、市街化区域と市街化調整区域の線引きが行われる。「広」4 過疎地域対策緊急措置法公布施行
9 北本町外十三市町村で、埼玉県中央広域行政推進協議会が発足する。「広」7 東京に光化学スモッグ発生
10 初の防衛白書発表
9 国勢調査が実施される。(人口三万一六九九人)「統計」
・それまでの消防団を本格的な消防本部に編成替えし、昭和四十八年には消防署が竣工する。
昭和四六一九七一4 北本町で初めての保育所(中央保育所)が開設する。「広」1 景気沈滞始まる
4 町長・町議会議員選挙が行われる。「行」1 鉄道建設審議会、東北・上越新幹線建設を答申
4 北本町総合振興計画が策定される。「広」
8 市制施行の際の新市名を「解脱市」とする動きが表面化する。「新聞」8 ドル=ショック
10 NHK総合テレビジョンが全部カラーとなる
8 住民の一部から「新市名を北本市とする会」が結成される。「新聞」12 スミソニアン協定一ドル=三〇八円
8 新市名は、北本市に。町長、町議会で申し合わせる。「新聞」
8 解脱会は新市名を「解脱市」とする動きを中止する。「新聞」
9 日本住宅公団北本団地の第一次入居が始まる。「広」
9 北本駅構内の跨線人道橋が完成する。「広」
10 北本駅~北本団地間の循環バスが開通する「広」
10 栄小学校が開校する。「広」
11 市制施行により、北本町を北本市とする。初代北本市長斎藤隆「広」
11 市制施行記念祝賀式典が北本中学校講堂で開かれる。「広」
昭和四七一九七二2 同和問題の解決を図るため、同和対策審議会を設置する。「行」1 元日本兵横井庄一グアム島で発見される
4 東中学校が開校する。「広」
4 北小学校が開校する。「広」2 浅間山荘事件
7 市制施行を記念して制定の「北本音頭」の作詞ができあがる。「広」5 沖縄返還
12 北本市建築協定条例が施行される。「広」9 日中国交正常化
昭和四八一九七三1 北本音頭の補作詞と作曲ができる。「広」10 石油ショック始まる
2 鴻巣・桶川両市に委託していた救急業務が消防庁舎完成に併せ業務を開始する。「広」11 狂乱物価、インフレおこる
2 荒井橋附近の荒川の流路変更工事が完成する。「広」
4 四小学校が開校する。石戸小、南小で分散授業を行ってきたが校舎完成により九月の新学期から新校舎で授業開始。「広」
4 市立堀の内集会所を設置する。「行」
6 地名地番整備事業として、中央一丁目から四丁目ができる。「行」
7 零歳児の医療費が無料化となる。「広」
9 開発行為に関する指導要綱を定める。「広」
昭和四九一九七四3 地名地番整備事業として東間一丁目から七丁目ができる。「行」3 小野田寛郎元少尉、フィリッピン・ルバング島から帰国
3 同対法促進・部落差別解消市民大会が開かれる。「広」
5 市内二番目の東保育所が開所する。「広」6 国土利用計画法公布
5 地名地番整備事業として本町一丁目からから八丁目ができる。「行」8 企業連続爆破事件
5 県知事が子ども公園施設の視察のため訪れる。「広」9 原子力船むつ、放射線漏れ事故をおこす
8 市立図書館(旧北本郵便局跡)が開館する。「広」
8 公共下水道の整備に着手する。「行」10 佐藤栄作前首相、ノーベル平和賞受賞
昭和五〇一九七五2 地名地番整備事業として北本一丁目から四丁目ができる。「行」1 企業の不況対策始まる
4 県立北本高校が開校する。(普通科共学六クラス二七〇名)「広」1 自動車の排ガス規制強化
4 公共下水道事業第一期計画区域内の受益者負担金の額が一平方メートル当り一六〇円となる。「広」3 山陽新幹線開通
7 沖縄海洋博覧会開催
4 埼玉県市町村交通災害共済組合の共済制度が始まる。「行」・エリザベス英女王夫妻初来日
4 北本駅西口広場が完成する。(面積六三〇〇平方米)「広」
4 市長・市議会議員選挙が行われる。「行」
10 国勢調査が行われる。(人口四万六六三二人)「統計」
11 地名地番整備事業として本宿一丁目から四丁目ができる。「行」
昭和五一一九七六3 公共下水道事業の財源にあてるため建設基金を設ける。「行」2 ロッキード疑獄広がる
4 東小学校が開校する。「広」7 フィリピン賠償の最終文書に調印
4 消防署東分署が開署する。「広」
11 地名地番整備事業として西高尾一丁目から八丁目ができる。「行」8 カンボジアと復交
11 天皇在位五〇年式典開催
・高齢化社会問題化
昭和五二一九七七2 ごみを広域的に処理するため、埼玉中部環境保全組合を鴻巣市・吉見町・北本市によって設立する。「行」2 新日本漁業協定調印
4 日本初の高速増殖実験炉「常陽」運転開始
2 大型店舗出店対策指導要綱を制定する。「広」
5 成人病検診センター内に夜間救急診療所が開設される。「広」5 領海一二カイリ法、漁業水域二〇〇カイリ暫定措置法成立
8 地名地番整備事業として深井一丁目から六丁目及び東間八丁目ができる。「行」7 日本初の静止気象衛星「ひまわり一号」打ち上げ成功 
9 北本駅橋上駅舎が完成する。「広」
11 市の木にサクラ、市の花にキクを制定する。「広」11 ハイジャック防止法公布
11 市内の中学生三〇名によるこども市議会が市役所議場で開かれる。「広」
昭和五三一九七八3 勤労者の持家取得を容易にするため、住宅資金の貸付制度が始まる「行」1 第一回「婦人白書」発表
5 新東京国際空港運行開始
4 西中学校が開校する。屋内運動場も同時に完成する。「広」6 日韓大陸棚協定、調印から四年半ぶりに批准書交換
4 市史編さん事業が始まる。「行」
4 あけぼの園(心身障害児通園訓練施設)が開園する。「広」8 日中友好条約調印
5 地名地番整備事業として宮内一丁目から三丁目ができる。「行」10 鄧小平中国副首相来日
10 市内全域の環境美化運動がスタートする。「広」
11 地名地番整備事業として本宿五丁目から八丁目及び中丸一丁目から五丁目ができる。「行」
12 老人福祉センターが開所する。「広」
昭和五四一九七九2 北本市の人口が五万人に達し、五万人目の市民に市長からお祝いを贈る。「広」4 インドネシア難民の定住対策を決定
3 勤労福祉センターおよび保健センターの複合施設が開所する。「広」6 東京サミット開催
6 日本環境会議東京で開催
3 北本市総合振興計画基本構想が策定され、昭和六〇年人口六万三〇〇〇人を想定し、「緑に囲まれた健康な文化都市」の実現をめざす。「行」
4 市長・市議会議員選挙が行われる。「行」
6 防災行政無線がスタートする。「広」
7 北本市コミュニティづくり推進協議会が発足する。「広」
12 農事試験場の筑波移転が完了する。
昭和五五一九八〇3 北本中学校校舎が鉄筋化され、四階建て建物に生まれかわる。「広」2 政府、モスクワオリンピック不参加決定
8 防災訓練がスタートする。「広」
10 国勢調査が行われる。(人口五万八八八八人)「統計」6 初の衆・参同日選挙
10 産廃物の資源回収(リサイクル)事業がスタートする。「広」12 自動車生産世界第一位になる
11 地名地番整備事業として深井七丁目から八丁目ができる。「行」
昭和五六一九八一4 公共下水道が一部地域で供用開始となる。「広」2 ローマ法王ヨハネ・パウロ二世来日
5 地名地番整備事業として中丸六丁目から一〇丁目ができる。「行」
6 中学校生徒の完全給食をセンター方式で実施する。「広」3 中国残留孤児四七人が来日
11 地名地番整備事業として朝日一丁目から四丁目ができる。「行」3 アルバニアとの国交樹立
11 市制施行一〇周年記念事業として北本市民憲章を制定する。「広」3 神戸ポートアイランド博覧会開催
11 社会福祉法人・北本市社会福祉協議会が設立される。「広」
11 自然遊歩道がオープンする。「広」10 福井謙一、ノーベル化学賞を受賞
12 県道下石土上菖蒲線(通称南大通線)の一部(高崎線との立体交差)が完成する。「広」
12 議会議員の定数を減少し、三〇人とする。(法定数三六人)「行」
昭和五七一九八二3 宮内中学校の開校に伴い国道十七号線に宮内歩道橋が完成する。「広」4 ミッテラン仏大統領来日
4 地域改善対策特別措置法施行
4 宮内中学校が開校する。6 東北新幹線が大宮・盛岡間で開業
5 荒井橋が永久橋として開通する。「広」
8 地名地番整備事業として二ツ家一丁目から四丁目ができる。「行」9 リニアモーターカー、有人浮上走行に成功
10 市長部局三部一四課二所一室の行政機構を、市民生活部を新設し四部一四課制に改める。「広」11 上越新幹線が開業
昭和五八一九八三1 市東部地区に、北本総合公園の事業着手が決定する。「広」2 日本初の実用静止通信衛星「さくら二号a」打上げ
1 はしご付消防ポンプ自動車が配備される。「広」
4 吉見町に建設中の埼玉中部環境保全組合(北本市・鴻巣市・吉見町で構成)の清掃工場が完成し、名称を環境センターとして業務を開始する。「広」11 レーガン大統領来日
4 市長・市議会議員選挙が行われる。「行」
6 駅西口広場にパークロックを設置し、駐車を有料化する。「広」
8 台風五号および六号の降雨により荒川が増水し、高尾橋が冠水する。「広」
昭和五九一九八四1 北本市高齢者事業団を設立する。「広」6 厚生省、日本は男女とも世界一の長寿国と発表
3 中央公民館の自主文化事業の円滑な運営を図るため基金を設ける。「行」9 全斗煥韓国大統領来日
4 北本市中央公民館・北本市立中央図書館の複合施設である北本市文化センターが完成する。「行」
4 通所授産施設あすなろ学園が中丸一〇丁目地内に建設され、開所する。「行」
5 市内を八圏域に分けた地域コミュニティ委員会の組織づくりが始まる。「行」
7 市内に住む二〇歳以上一五〇〇人を対象に市民意識調査を実施する。「行」
9 東小学校が学校給食の運営・指導等に優れていることに対し文部大臣表彰を受ける。「広」
昭和六〇一九八五3 地名地番整備事業として緑一丁目から二丁目ができる。「行」3 世界最長の青函海底トンネル貫通
4 南部公民館が開館する。「広」
7 台風六号の降雨により荒川が増水し、高尾橋が冠水する。「広」3 科学万博つくば開催
7 行政改革推進委員会を設置する。「行」4 日本電信電話公社はNTT、日本専売公社は日本たばこ産業株式会社と民営化される
9 市債の償還財源を確保し、将来にわたる健全な財政運営を図るために基金を設ける「行」
10 国勢調査が行われる。(人口五万八一一四人)「統計」5 世界大都市サミット、東京で開催
11 北本市行政改革大綱を策定する。「広」
11 市内七小学校三〇人の小学生議員によるこども市議会が開かれる。「広」
11 市主催による第一回戦没者追悼式が行われる。「広」
昭和六一一九八六2 第二次北本市総合振興計画を議決する。「行」3 ブータン国王と正式に外交関係締結
3 地名地番整備事業として宮内四丁目から七丁目ができる。「行」
3 緑と花のまちづくり基金を設置する。「行」5 英チャールズ皇太子、ダイアナ妃来日
4 東部公民館が開館する。「広」
6 北本市と鴻巣市が図書館の相互利用について協定する。「行」
11 地名地番整備事業として古市場一丁目から三丁目ができる。「行」
昭和六二一九八七3 北本市史第一回配本「近世資料編」が刊行される。2 国連環境特別委員会「東京宣言」を採択
4 市長・市議会議員選挙が行われる。「行」
5 西部公民館が開館する。「広」4 国鉄が民営化され一一のJR新法人でスタート
6 人口が六万人となる。「広」10 利根川進、ノーベル医学生理学賞受賞
昭和六三一九八八3 地名地番整備事業として山中一丁目から二丁目及び北中丸一丁目から二丁目ができる。「行」6 リクルート疑惑現れる
5 北部公民館が開館する。「広」・中嶋宏、アジアから初めてWHO事務局長に選出される。
5 市営台原住宅が完成する。(一二世帯分)「広」
6 老人福祉センター、鴻巣市と相互利用を開始する。「広」
8 市役所駅連絡所を開設する。「広」
9 北本市スポーツ栄誉賞及びスポーツ功労賞の表彰制度を設ける。「行」
平成 元一九八九3 地名地番整備事業として石戸宿一丁目から八丁目ができる。「行」1 昭和天皇崩御
3 都市総合交通規制が実施される。「広」2 リクルート事件起こる
4 文部省から生涯学習モデル市に指定される。「広」4 消費税スタート
4 北里研究所メディカルセンター病院が開院する。「広」
5 常陸宮御夫妻が北本自然観察公園予定地で記念放鳥と植樹をされる。「広」
7 青少年育成市民会議が設立される。「広」
9 ふるさと創生一億円「さくらと歴史の郷づくり事業」に決定する。「広」
10 緑のフェスティバルを開催する。「広」
11 中央公民館が全国優良公民館表彰を受ける。「広」
平成 二一九九〇3 第一回生涯学習市民大会が開催される。4 大阪で「花の万博」
3 地名地番整備事業として石戸一丁目から五丁目まで及び八丁目から九丁目ができる。「行」11 天皇陛下が即位の礼
12 日本人初の宇宙飛行
3 公共の場所における自転車の放置を防止するための条例を設ける。「広」
4 公共下水道、高崎線の西側一部区域で供用開始となる。「広」
5 中丸公民館が開館する。「広」
5 市営山中住宅が完成する。(一二世帯分)「広」
8 北本太鼓「かばざくら」が結成される。「広」
9 AET(英語指導助手)を採用し、小中学校の国際理解教育の推進及び英語教育の充実をはかる。「行」
9 高齢者事業団を改称し、社団法人シルバー人材センターを設立する。「行」
10 国勢調査が実施される。(人口六万三九三三人)「統計」
12 議会議員の定数を減少し、二八人とする。(法定数三六人)「行」
平成 三一九九一3 北本のむかしばなし」を刊行、全戸配布する。「広」4 ソ連大統領が初来日
3 桶川市・北本市・鴻巣市・吹上町・川里村の五市町村は、埼玉県央都市づくり協議会を設け、構想・基本計画・県央アクシスプランを策定する。「行」4 掃海艇ペルシャ湾に派遣
6 雲仙普賢岳で火砕流
6 四大証券が巨額の損失補てん
4 組織機構の改正により五部制となる。「行」
4 市制二〇周年記念事業がスタートする。「広」
4 駅周辺の放置自転車対策として、自転車駐輪場が順次利用開始となる。「広」
4 市長・市議会議員選挙が行われる。
6 市役所の月二回、土曜閉庁が始まる。「広」
6 体育センターがオープンする。「広」
6 NHKのど自慢公開放送が体育センターで行われる。「広」
10 福島県河沼郡会津坂下町と北本市が、姉妹都市の提携をする。「行」
12 北本市情報公開条例及び北本市個人情報保護条例を制定する。「行」
平成 四一九九二1 北本市は北本中央緑地の保全を予算化する。1 ブッシュ米大統領夫妻が来日
3 JRのダイヤ改正により、北本駅に快速アーバンが停車する。上下各二本。「新聞」6 PKO協力法成立、自衛隊をカンボジアへ派遣
3 名誉市民条例を制定する。「行」10 天皇陛下が訪中
3 写真集「雑木林のあるまち」を刊行する。
7 埼玉県自然学習センターがオープンする。「広」
7 総合福祉センターがオープンする。「広」
9 地名地番整備事業として、高尾二丁目から九丁目ができる。「行」
9 学校週五日制が始まる。市内小学校は毎月第二土曜が休みとなる。「広」
10 廃棄物減量等推進審議会条例を制定する。「広」
平成 五一九九三2 県知事が行政視察のため来市し、北本中央緑地の雑木林や総合福祉センターなどを見てまわる。「広」6 皇太子ご成婚
7 北海道南西沖地震で奥尻島被害大
3 女性行動計画の策定及び女性政策の推進のため、女性会議を設ける。「広」8 連立内閣発足
4 北本市条例の左横書き実施に伴う措置及び用語などの整備条例が制定される。「行」9 冷夏により米が不作となり緊急輸入決定
4 北本市歴史資料の保存及び利用に関する規定が制定される。「行」
4 中丸東小学校が開校する。「広」
6 総合公園の野球場が完成し、記念事業に「西武×巨人」(イースタンリーグ)が行われる。「広」
7 市の業務は七月から毎週土曜日が一部の機関や施設を除き、休みとなる。「広」
平成 六一九九四1 廃棄物減量等推進審議会の答申書が提出される。「新聞」
3 北本市史本編最終巻として「通史編Ⅰ」刊行
3 北本市史別冊編まんがダイジェスト版下巻「近・現代編」刊行

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