北本市史 資料編 古代・中世
第2章 中世の北本地域
第2節 南北朝・室町期の展開
応永二十四年(一四一七)八月僧日英は、足立郡河田谷旦那中などの末寺講演職などを千代寿若僧と寅菊に支配させる。
154 日英末寺等支配注文 〔法宣院文書(1)〕
末寺講演(2)職等事
一 上総国絹村(3)蓮明寺、周東郡上村(4)板御堂、今ハ破壊、同国形部(5)鵠谷、今ハ破壊、同郡南長石(6)顕妙寺、雁田小浜等、今乱、房州下佐久間(7)法花堂等、埴谷(8)小原妙経寺、(絹村当寺者、寅菊丸ニ申付、)下総国松崎(9)顕実寺、同飯塚(10)阿弥陀堂幷講坊、八日市場(11)講、今ハ退転、同籠新田(12)、同遠山方小菅(13)講演、同国八幡猫真(14)講今ハ破、檀那等、鎌倉小町(15)妙隆寺、如形再興、同片瀬(16)龍口院幷旦方、武州府中(17)妙昌寺幷旦方等、同平子(18)講演旦那等、同国獵井旦那、足立郡河田谷(19)旦那中、同騎斎郡小林(20)妙福寺敷地免田畠等、今不作、同種垂(21)講演御堂等、同猪俣堂幷敷地免田畠等、今ハ乱、同す禰御堂、今ハ乱、同郡小石川旦那中
一 洛中妙法寺、海道諸末寺等
右、所々、為両人可令支配也、仍注文如件
応永廿(22)年八月 日英(花押)
千代寿若僧
寅菊殿へ
〔読み下し〕
154 末寺講演職等の事
(中略)
右、所々、両人として支配せしむべきなり、よって注文件の如し
〔注〕
(1) | 千葉県市川市中山 法宣院蔵 |
(2) | 仏の教えを説くこと |
(3) | 千葉県富津市絹付近 |
(4) | 末利郷(まりのごう)上村のこと。千葉県木更津市内 |
(5) | 千葉県長生郡長柄(ながら)町刑部(おさかべ)付近 |
(6) | 千葉県君津市長石(ながし)付近 |
(7) | 千葉県安房郡鋸南町(きょなんちょう)下佐久間付近 |
(8) | 千葉県山武(さんぶ)郡山武町(さんぶまち)埴谷(はにや)付近 |
(9) | 千葉県八日市場市仮塚付近と思われる。 |
(10) | 千葉県八日市場市飯塚付近 |
(11) | 千葉県八日市場市 |
(12) | 千葉県八日市場市籠部田(かごべた)付近 |
(13) | 千葉県成田市小管付近 |
(14) | 千葉県浦安市猫実(ねこざね)付近 |
(15) | 神奈川県鎌倉市小町付近 |
(16) | 神奈川県藤沢市片瀬付近 |
(17) | 東京都府中市 |
(18) | 神奈川県横浜市中区・南区東部・磯子区北部・港南区の北東部にひろがる地域 |
(19) | 桶川市川田谷付近 |
(20) | 南埼玉郡菖蒲町小林(おばやし) |
(21) | 北埼玉郡騎西町種足(たなだれ)・中種足・下種足付近と思われる。 |
(22) | ニ四のこと。四は「ニニ」、「」、「肆」とも喜いた。 |
この史料は、上総国埴谷(千葉県山武郡山武町埴谷)にある日蓮宗妙宣寺住職の日英が、上総国をはじめとして諸国にある末寺や講演職などを千代寿と寅菊の両人に支配させるというものである。
日英は、千葉市川市にある中山法華経寺第四代日尊の弟子であり、この寺で修業したのち、血縁の上総埴谷(うえがや)の土豪であった埴谷重継の建立した妙宣寺の開山となった。これ以後この寺を基盤として布教活動にあたり、千葉氏の後援をうけながら上総・下総を中心に、武蔵・安房・相模・京都の各所に寺院・堂などを作って教団勢力の拡大にあたった。この日英が建立した寺院は七六に及んだといわれており、日英は妙宣寺を「私本寺」とし、自身で開いた寺院や諸堂などを末寺にくみ入れて管轄下においた。そして妙宣寺を中山法華経寺の末寺とし、自身が開いた寺院などを中山法華経寺の末寺とするなど、中山門流の教団組織化に大きく貢献している。
この史料にみえる地名などのうち、小林妙福寺は、南埼玉郡菖蒲町小林に、日蓮宗の寺として現存している。