北本市史 資料編 近代

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第3章 北本の教育

第4節 戦時体制下の教育

229  昭和十九年(一九四四)七月 北足立郡における疎開学童受入れ態勢
    (『毎日新聞』昭一九・七・二九)
大和一致の温い親心で帝都の学童疎開を受入れようと県下町村挙って受入態勢を進めてゐるが、日本橋区の学童六百名を迎へる北足立地方事務所では、各地の先陣切って契約承認済の宿舎候補を廿八日県教学課に報告して来た、同課ではそのうちから地元国民学校との二部教授、物資配給、徒歩通学、附近の環境等を考慮して次の五カ村八寺院を最適と見込んで都に推薦することに決めるー方、同日教学課を中心に疎開事務所・農政林務課など関係者会議を開き、宿舎の炊事場・便所・風呂場等の改築資材・物資配給・輸送方法等具体的な受入態勢を協議、いつでも迎へる準備を進める

片柳村万年寺(住職中村眞応師) ▽野田村法界寺(石川文雄師) 明照寺(浜野□宗師) ▽北本宿村寿命院(久沢実因師) ▽小谷村竜昌寺(島沢□□師) 宝勝寺(杉浦弘正師) ▽植水村林光寺(工□晃真師) 慈眼寺(田中隆暢師)

なほ万年寺は部屋が広く机等があれば宿舎で授業が出来る最適の宿舎である。

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