からから揺れき あとがき等

北本この人 >> からから揺れき >> あとがき等 >>

  

本多俊子さんが「花實」に入会されたのは平成二十三年六月で、足掛け九年となる。当時青森の支部長であった山本博子さんの紹介にて入会された。「花實」との縁は、山本さんの義妹である布施汎子さんより花實誌を贈られたことがきっかけと聞く。平成三十年に「花實」新人賞を受賞した。この頃から歌集出版を考え始めたらしい。
「花實」入会前から、母親•叔父などが作歌されていたので見てきている。小学校の教員の職にあったので暇がなく、退職してから本格的に始めた。最初の数年間、私が選歌を担当していた。欠詠なし、大変に熱心であったことを周知している。埼玉県北本市に住まわれ、鳩山歌会まで車で一時間余もかかるのに毎月出席される程の熱心さである。歌を例にあげながら、鑑賞をしてみよう。

  突然の電話に驚く母の死に雪舞ふ闇をひたに走れる
  一合の米研ぎてある炊飯器そのままにして母は逝きたり
  老いてなほ可愛さ残る母なりき「ちいちやん」と呼ぶ人の多かり
  たしなみとオーデコロンを愉しめる八十路の母は華やぎゐたり
  失明の危険を言はれ入院の母術前の髪をととのふ
  ほの暗き苅萱堂(かるかやだう)に「石童丸」読みくれし母のこゑ懐かしむ
  数ふれば片手ほどなり亡き母と温泉巡りし旅の稀なる

母の死を知らせる電話に驚き駆け付ける場面。下の句に「雪舞ふ闇をひたに走れる」という。作者の鼓動も緊迫感も直(じか)に伝わってくる。一人住まいであった母は明日の米一合が研いであった。一入あわれを誘う。何ともやりきれなさが切切と伝わってくる。余情溢れる歌である。老いても可愛さの残る母は「ちいちやん」と幼名のまま呼ばれている。人から愛されていた人柄であったのだろう。八十路になっても人前に出る時はオーデコロンを愉しみ身嗜みを欠かさない母であった。手術の前にも髪をととのえることも身嗜みとして忘れない母であった。ある時は童話を読んでくれた。旅にもあまりつれて行かれなかった母。母を亡くして堰を切ったようにあれもこれも頭に浮かび心の奥深いところから叫びとなって、ロを突いて出てきた歌だと思う。思ったことが素直な表現となった歌である。歌は詠んではいなくても素養があったのだと思う。
次は家族の歌を見よう。

  ふうはりとふぢ紫の絹やさし息子くれたるスカーフまとふ
  受賞祝ぐケーキ抱きて来し娘段(きだ)踏む音の軽やかなりき
  一月の五日にやつと子の帰省夫は自慢の酒を取り出す
  夫と娘と足伸ばしあひ語りあふ踊り子号のボックス席に
  古稀なれど同級生は氷雨にも集ひてくるる夫の個展に
  夫描く女人はどこか吾娘(あこ)に似て大き瞳の丸き顔なり
  入院の身となり頼りは汝(なれ)のみと独り居の叔父ひた繰り返す
  つむりたる眼(まなこ)開けねど呼びかけに二度頷きて叔父は逝きたり

息子がふじ紫のスカーフを買ってくれた。娘は母の受賞を祝いでケーキを買ってきてくれた。ほほえましい程家族円満。その礎は作者の作ったものである。歌の表現が素直であるように、日常生活も温和なのであろう。祝われたのは、埼玉県歌人会主催の短歌大会にて二回も知事賞を受賞されたことである。母の受賞を共に喜ぶ娘に育っていたのだ。夫を詠んだ歌もしばしば出てくる。息子の帰省を喜ぶ夫は手ばなしでは喜んでいないが「自慢の酒」で十分に理解できる。家族旅行で伊豆に行った。ボックス席で夫と娘が足を伸ばしてくつろいでいる。観察しながら温かい気持で見守っている。そのままの景をそのままの言葉で表現する。語彙が豊かでないと、表現できない。古稀の夫の友人達は、夫の個展を天候が悪くても観に来てくれた。事実を言葉にしたのだが、ここからイメージできる奥の奥は深いのである。夫がいかに友人に信頼されているかである。そう言っていないが言外に察することが出来る。夫の画く女人像は娘に似ている。発見した作者のほほえんでいる姿が想像できる。叔父に頼られている作者は最期を看取った。「ひた繰り返す」に叔父の気持が良く表現された。難しい言葉は用いない。ありのままごく自然体で詠んでいて、そこには奥深さと余情が滲みでている。表現する言葉も洗練されている。
旅の歌も見てみよう。

  百余なる巨大石柱もつ神殿カルナックとふ地の興亡偲ぶ
  彫り深き青年黙して帆掛け船自在に操りナイルを渡る
  ガイド指す砂漠の彼方の蜃気楼バスの窓辺にひた顔を寄す
  着陸のアナウンスあり窓外にマングローブの島影迫る
  夕づける丘に集ひて男らのケチャ佳境なりはずる松明
  謝肉祭(カーニバル)と聞けば心の浮き立ちて仮面購ふサン・マルコ広場
  ドロミテの峨峨たる山の花畑まつむし草のありて懐かし
  うち続く葡萄畑の境木(さかひぎ)か糸杉高きブルゴーニュの地
  由緒ある部屋にゆつたり貴婦人の心地に過ごす古城のホテル

作者が旅行するようになったのは退職して暇ができたからである。海外旅行も多くなる。エジプトの旅でカルナックの巨大石柱、ナイル川を渡る青年に心を奪われる。海外旅行は見るもの聞くものが新鮮で素材が山積みされている。言葉が足りないほど感興をそそられる。心に躍動がある。砂漠の向こうの蜃気楼に興味津津。「ひた顔を寄す」で気持が出せた。バリ島の旅はマングローブの実物を見た驚き。夕づく丘でケチャというおどりを見た感動が表現されている。イタリアの旅のサン・マルコ広場、ヴェネツィアもドロミテの山なども目に新鮮で、見たことのない読者にも伝わる。フランスの旅の葡萄畑もさることながら糸杉の直ぐに伸びた木木も絵では見ていても実物に接することは初めてであったろう。古城のホテルも「貴婦人の心地」の表現がいい。海外旅行は、知識として知っていても、目の前に実現する心おどりは大きいものである。作者の心情が良く表現されている。一般的に注意したいことは、 旅行案内になってしまわないようにすることであるが、この作者の海外詠は実感が込められ、通り一遍のものではない。

  届きたる同窓会の案内(あない)状教へ子の齢ゆびに数ふる
  粗暴なる振る舞ひ見する児の涙担任なれば黙して抱く
  教へ子と再会の日を赤丸に大きく印せり壁の暦に

作者は教員であったが、 退職してから短歌を始めたので職場の歌ではない。クラス会に招待される楽しみなどで、児童のことを振りかえる歌が多い。暦に大きく赤丸を付けることで楽しみにしている心情が良く出せている。「楽しみ」の言葉は言わない。そこが短歌表現の極意なのだ。
自然の歌を見よう。

  ひとむらは花向きそろへ薄青し風にさ揺らぐたつなみ草は
  何処より甘き香せりと見上ぐれば泰山木の梅雨晴に咲く
  風さけて低きひとむら薄紅の高根なでしこ利尻の丘に
  春の庭めぐりて朝の風はつか編笠百合の揺らぎやはらに
  母と児とチワワ座しゐるシートにも紅葉は散りて児の笑ふ声

自然の中の小さなことを発見した歌が集中にちりばめられている。野草の立浪草に心をやる。花の色が碧紫色をしているので「薄青し」とよく見ている。素朴な花である。優しい心でとらえている。薫がしたのであたりを見ると大きな泰山木の花が梅雨晴れの空に浮き立っている。大らかな歌である。利尻にて高根なでしこに目を引かれた。また、時には春の庭を巡る余裕もある。編笠百合が咲いてほのかな風に揺らいでいる。野外にくつろぐ家族を見つめ、やわらかい目をそそぐ。自然を素材とした歌は安らぎを与える。
いろいろ書いてきたが、決して難解な言葉はない。えらぶった詠み方もしない。表現力が備わっている。読んでいて本多短歌の清澄な世界に引き込まれてしまう。


令和元年七月二十二日
花實発行人
利根川 発

[音声でお聴きになれます]



<< 前のページに戻る