北本の石仏
【石仏別のあらまし】
①菩薩(ぼさつ)部菩薩とは、仏陀(ぶっだ)となることを理想として修業中のもので、一方に衆生をも救い導こうとする上求菩提下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)精神の実践者である。 まだ俗人なので、 さまざまな装身具をつけている。そして、方便的に現世利益(げんせりやく)をうたうため庶民の多大な信仰を受けてきた。
ア 聖観音(しょうかんのん)(写真1)
市内の石仏中最古の造立で、市内にはこの1基だけである。 銘文からわかるように大島多衛門が、書き写した法華経六十六部を全国の霊場に納める目的で行脚した記念の塔である。 髪を結い上げた冠、左手には、一切衆生の未来を現わし、 無明の迷路に迷うのを観音の慈悲心によってまさに開かせようとする未敷(みふ)蓮華を持っている。右手は下げて与願印(よがんいん)とし、衆生の願いを施し与えんとしている。大字宮内839番地にある。
イ 馬頭観世音
馬頭親世の信仰は、庚申信仰とならんで近世民間信仰の雄である。
馬頭観音は忿怒相(ふんどそう)をしている。これは、慈悲では教化しがたい衆生のためには、仏が怒りの顔をして救い上げようとするもので、無量寿仏(むりょうじゅぶつ)(弥陀(みだ))の一変形が馬頭観音であるという。頭上に馬頭(宝馬(ほうば))をいただくところから馬頭観音といわれるが、馬頭は、転輪聖王(てんりんじょうおう)の宝馬が四方をかけめぐって一気に猛進し、生死の大海をわたり、煩悩や死などの四魔を打ち破る大威力、精悍さを表わし、いろいろな障害をくいつくすこと、馬が草を喰むごとくであると菩薩の大慈悲心にたとえたものである。
市内には三面六臂(ぴ)のもの3基(写真2~4)、一面六臂のもの1基(写真 )、一面二臂のもの5基(写真5~9)文字塔のもの6基がある。
馬頭宝冠を冠するところから、馬の守護神として広く信仰された跡が濃く、 写真6や8の銘にみられるように、わが家の亡き愛馬のための供養塔として造立されている。
写真7などは、造立の目的が「為二世安楽也」とあり、現世利益の思想が濃くなっている。時代が降るにしたがって、 文字塔にかわってきている。信仰の衰えと石工の腕の衰えに起因するといってよい。 幕末の安政年間から文字塔になってきている。
また写真から読みとれるように、市内にある馬頭観世音の多くは、庚申の青面金剛(しょうめんこんごう)と混同していることがわかる。
ウ 地蔵尊
地蔵尊は地蔵菩薩の尊称である。地蔵尊は釈尊の付託を受け、その入滅後、弥勒(みろく)仏が現われるまでの無仏時代の五濁の世にあって、六道の衆生を救うという菩薩で、現世利益と死後の世界に迷う亡者も救済する功徳(くどく)をもつとされている。像客は比丘(びく)形で円頂(えんちょう)、納衣(のうえ)、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っている。
市内の地蔵尊のほとんどは江戸時代に建立されていて、先にふれたように12体中8体が大字高尾にある。銘からうかがえるように強力な信仰集団であったと思われる万人講があったからである。 大字高尾841番地にある写真20に示す地蔵尊はみごとである。
建立年の不明になってしまったものが4体あるほか、下半身の埋没しているものや、 頭部の欠落しているものなど、緊急に保護すべきものが数体ある。
エ 六地蔵
一般に六地蔵は寺院や墓地入口に立っているが、大字高尾2652番地には路傍に一基(写真29)ある。
施世の小崎小八良の妻志多(した)は、寒念仏講中の中でもとくに信心篤かった者であろう。六地蔵とは、常に悪業を犯し、六道―地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上―に輪廻(りんね)転生する衆生を救うために地蔵の本願から分身したものであるといわれている。地持(ちじ)・法印(ほういん)・法性(ほっしょう)・鶏鬼(けいき)・宝性(ほうしょう)・陀羅尼(だらに)の大地蔵である。
②明王(みょうおう)部
明王の諸尊は、大日如来の眷属(けんぞく)で、大日如来の命を捧じて忿怒の相を現わし、諸悪魔を降伏するとされている。
市内には不動尊と伝えられる像(写真30)が北中丸1758番地に1体ある。
③ 天部・その他
ア 庚申塔
庚申は干支の一で、庚申(かのえさる)の晩に行なった民間信仰である。
もともとは中国の道教の守庚申に由来する禁忌で、平安時代に伝わり、江戸時代に盛行した。60日に1度めぐってくる庚申の夜眠ると、人身にいる三戸(さんし)という三匹の虫が人のねむりに乗じてその罪を上帝に告げるとも、命を短かくするともいう。そこで人々は、仏家では青面(しょうめん)金剛を神道では猿田彦大神を祭って寝ないで徹夜をする風習があった。庚申塔は、この青面金剛を祭ったものである。
市内にある15基中、13基までが一面六臂念怒相の青面金剛で、舟型光背には瑞雲日月があり、右第1手には戟、左第1手には輪宝、右第2手には矢、左第2手には弓、右第3手と左第3手は合掌している。
両足で邪鬼を踏みつけ、その下に見ざる、聞かざる、話さざるの3猿がいる。なお、光背中には2鶏を配している。なかには、左手第3手でショケラという赤子を吊したものもある。
光背の日月は月待の供養から、3猿は山王信仰の猿が庚中の申(さる)と習合したものである。
なお、大字花木69番地にある庚申塔(写真43)は、三面六臂で銘文では「奉納願庚申塔」となっているが、本尊は馬頭観世音で、混交している。
文字塔はわずかに1基(写真42)であり、馬頭観音とちがい、 明治になってから造立されたものは1つもない。
イ 道祖神
道祖神は、道路の悪霊を防いで行人を守護する神であるが、道陸(どうろく)神、サエの神などとも呼ばれ、村境や道端に立って悪疫などの侵入を防ぎ、村人を守る神ともされてきた。市内には1基、大字古市場字道ろく神18番地にある。天保4年(1833)のもので新しいものである(写真46)。
ウ 猿田彦
猿田彦についてはアの項参照。市内には大字北中丸に3基(写真47~49)ある。
工 供養塔
市内には供養塔が3基あるが、純粋なものは、大字石戸宿字横田352番地にある(写真50)。「南無妙法蓮華経一千部供養」塔と、大字下石戸上字原1302番地にある(写真52)「奉読誦大乗妙典一千部供養塔」である。とくに前者は、往古の鎌倉街道と伝う路傍にあり、道標も兼ねた貴重なものである。
オ 道 標
地蔵尊や庚申塔の台座などには道標を兼ねたものがいくつかあるが、道標専用として造立されたものは、2基ある。1つは大字高尾1102番地にあるもので、「これより石と舟ところ」の銘は、かつて荒川に舟運が開け、ここに渡船場のあったことを証する(写真53)。もう1基は大字宮内にあるが、磨滅がはなはだしく、わずかに「かうのす道」しか読みとれない。