石戸蒲ザクラの今昔 まえがき等

社会1 >> 石戸蒲ザクラの今昔


 北本市教育委員会教育長 小尾 富士雄
石戸宿三丁目の東光寺にある国指定天然記念物「石戸蒲ザクラ」は、江戸時代から「蒲桜」の名称で親しまれ、江戸市中でも評判の桜でありました。その理由は、何より稀代の巨桜であり、 悲劇の武将「源範頼」の伝承をもち、桜の根元には鎌倉時代の古石塔が林立するという点で、文人たちの興味をそそる存在であったからです。
大正十一年(一九二二)十月十二日、国指定天然記念物に指定された「石戸蒲ザクラ」は、同時に指定された他の桜とともに「日本五大桜」と称えられ、一躍、全国に知られる名木となりました。確かに当時の写真を見ると、中央の主幹を中心にして四本の支幹が四方に伸び、神々しいほどの雰囲気を醸し出しています。他の五大桜と比較しても、抜きんでた印象を受けるほどです。
しかし、この蒲ザクラも戦後は急速に樹勢が衰え、昭和四十年代には「枯れ死寸前」とまで報道されています。その後は、 石垣の撤去をはじめとする環境整備、度重なる樹勢回復事業を実施し、外科的な処置、 土壌改良を行ってきました。現在、 蒲ザクラの樹勢はいまだ予断を許さない状況にありますが、徐々に樹勢回復事業の成果が現れています。
本書はこうした蒲ザクラについて、植物学的な価値はもとより、 桜を取り巻く伝説やさまざまな歴史事象に焦点をあて、 その過去から現在までを通観したものです。蒲ザクラを一書に編んだ初の試みですが、多くの方々にご愛読いただき、北本の誇りである「石戸蒲ザクラ」の理解を深め、幅広く郷土学習に活用していただきたいと念願いたします。
  平成二十年三月

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