北本の仏像

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Ⅱ 各地区の仏像

1 中丸地区(旧鴻巣領)

 安養院

安養院 北中丸1646 →(寺院詳細)

新義真言宗 深井寿命院末、瑠璃山と号し、本尊歓喜天は秘仏、前立に観音を置く。開基は前に触れた村民幸左衛門の祖先とのみ伝え、その名を失するが、境内にある2基の石碑のうち、一つには「善徳院殿賢翁浄国居士、永禄七甲子(1564)七月十四日/安養院殿蘭室妙見大姉、天正十年(1582)七月二十四日」、左に「小池長門守久宗」、右に「加藤安芸守娘」との文字が見え、今一つの石碑には「明雲院殿月庵宗安居士、慶長四年(1599)己亥八月四日」、脇に「加藤修理亮宗安」とある。二基とも幸左衛門の分家である源右衛門が再造したものだが、当院の号安養院が長門守久宗の妻室の法名と一致することからして、彼室が当院を開基したものであろう。(『風土記稿』)
当院の沿革については、『風土記稿』の記載によるほかない。いずれにしろ、この土地の土豪加藤氏と密接な関係をもって維持されて来た寺であることは間違いなさそうである。当院は明治八年に旧上中丸村にあった遍照寺(返照寺とも書く)を合併したため、堂内に無数の仏像が安置されており、雑然としてどれが本来の仏であったか判断しにくい状況にある。


【木造地蔵菩薩立像】

〔品質〕寄木造、玉眼、彩色(後補)
〔法量〕 像 高 38.0 臂 1張 12.0 腹 奥 7.0
旧遍照寺本尊。右手に錫杖、左手に宝珠を持って蓮台上に立つ通形の地蔵菩薩像である。多分に形式化した作品ではあるが、安養院の仏像群の中では比較的まとまりのある出来映を示している。製作期は江戸後期頃であろう。地蔵菩薩は釈迦滅後弥勒がこの世に下生するまでの無仏の期間に出現し、六道に惑い歩く衆生を済度する仏といわれ、平安期以来広く民間に信仰され、諸仏の中ではもっともポピュラーな存在となっている。江戸期に於てもその造像例は極めて多く、宗派の別を問わず寺の本尊に採用されるケースが多い。

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