三五郎山遺跡 三五郎山遺跡の調査

社会3 >> 三五郎山遺跡 >> 三五郎山遺跡の調査 >>

第3章 三五郎山遺跡の調査

第1節 調査の概要と経過

三五郎山遺跡は、東を江川によって開析された谷津を臨む台地上に位置する。遺跡の範囲はこの開析谷に沿って東西約180m、南北約280mに展開する(第3図)。今回の調査区は遺跡範囲の北部で、崖線上の斜面地が平坦部に移行する肩部エリアを対象とした。付近の標高は約24mで、開析谷の底部との比交差はおよそ2mである。

第3図 三五郎山遺跡周辺の地形と遺跡分布図

本遺跡の調査は平成15年7月24日~8月26日までに面積約510㎡を対象に実施した。調査区の基本層序は第4図に示すように、地表面から約40cmの深さまでは概ね茶褐色の表土層(I・Ⅱ層)が堆積する。Ⅲ層は縄文時代以降の包含層及び旧表土と思われる。Ⅳ層はソフト化の進む暗黄茶褐色土である。Ⅴ層はハードローム、褐色のⅥ層は第1黒色帯と思われる。
今回の調査の結果、縄文時代中期の住居跡6軒、土坑2基、屋外炉跡2基、近世土坑20基を確認した(第4図)。住居はすべてが楕円形を呈し密集している。1号、4号、5号住居跡はたがいに切合い関係にあり、新しいほうから1号ー5号ー4号の順番である。
各住居跡からは遺物が豊富に出土し、土器、石器の出土数はコンテナ総数で30箱におよんだ。

第4図 三五郎山遺跡調査区全測図及び基本層序

第Ⅰ層 暗茶褐色土 表土層、植痕多く、炭化物粒子若干含む
第Ⅱ層 黒褐色土  ローム粒子わずかに含む
第Ⅲ層 暗褐色土  旧表土層、炭化物粒子多く含む
第Ⅳ層 黄褐色土  ソフトローム層、炭化物粒子若干含む
第Ⅴ層 明黄褐色土 ハードロー厶層、黒色粒子若干含む
第Ⅵ層 暗茶褐色土 第1黒色带
第Ⅶ層 黒褐色土  第2黒色带
第Ⅷ層 明黄褐色土 立川ローム最下層

屋外炉跡は調査区東端で住居群からややはなれた位置より2基検出されている。また、2号住居跡、5号住居跡をともに切っている1号土坑は、覆土中から多数の土器片が投棄された状態で検出されている。2号土坑は3号住居跡より新しく、入れ子状態で検出されており、やはり土器の廃棄が確認されている。
そのほかの小土坑群は調査区全体に分布しており、有機的なつながりも認められなかった。これらは黒褐色の覆土のあり方から近世期の掘り込みと判断される。
調査の経過は以下の日誌抄のとおりである。

平成15年(2003)
7月24日(木)調査区を設定し、重機による表土剥ぎを開始する。機材の搬入を行う。
7月28日(月)作業員が集合し、調査の説明を終えた後、確認面の精査を開始する。縄文時代の6軒の住居跡を検出する。東部の一部からは遺物の出土がかったが、攪乱の影響もあり遺構確認に至らなかった。SJ4およびSJ6の調査を開始する。
7月31日(木)SJ1、2、5の調査を開始する。SJ1から深鉢形土器が横倒し状態で検出される。
8月1日(金)SJ5の調査を開始する。
8月11日(月)SJ1から土器囲炉が検出される。
8月18日(月)各住居跡の炉跡調査。併せてセクションベルトの除去、遺物の取り上げ作業を行う。
8月19日(火)調査区南東部の未調査部分の再精査作業を行う。2基の屋外炉跡が検出される。近世期の土坑群の調査開始。
8月20日(水)SJ1、2、4~6の完掘写真撮影と遺物のトータルステーションによる取り上げを行う。
8月22日(金)調査区内の遺構は完掘。各遺構の遺物取り上げ、写真撮影を行う。
8月25日(月)調査区全景写真撮影、一部残務を残し本調査にかかわるすべての作業を終了した。

<< 前のページに戻る